今年買った本まとめ
この記事ははんドンクラブ Advent Calendar 2021 14日目の記事です。
当初考えて三分の一ほど書いていた内容*1がどうにもこうにも間に合わない&それどころじゃないという事態になり、少しずつ電車の中で書けるものに急遽内容を変更してお届けします。
2021年に買った本のまとめです。
- 基本的にコミックは含めず。雑誌や古書も含めません。
- 昨年12月末から今年12月まででhontoに登録しているものについて時系列に感想など。
あなたを閉じこめる「ずるい言葉」 10代から知っておきたい
森山 至貴 (著)
Twitterで紹介されてて仕事で使っていけるかなと思いざっと読んだあと、隣席の同僚に貸してそのままなので詳しく思い出せない本。言葉について深く掘り下げていてあり、しっかり意味を考えて言葉を使っていかないとなと思える一冊。
先日「貸した本どうしてる?」と聞いたら「家の本棚にありますね…」と言っていたので、返ってこない可能性が高いです。
猫はなぜ二次元に対抗できる唯一の三次元なのか
斎藤 環 (著)
斎藤環の評論集。
表題の内容で「ねこかわいい!」と書いている他は基本的にサブカルチャーについての評論が小難しく書いてあり、読む人を選ぶととても思います。雑な紹介になりますが自分は好きなんですよ。
好きと嫌いのあいだにシャンプーを置く
著者:瀬那 和章
冷凍イナバPが神戸を舞台とした小説を挙げた二冊のうちの一冊
三姉妹からみた物語をオムニバス形式で書かれてます。ひさしぶりにこういう小説を読んですごくくすぐったい気持ちになりました。
三姉妹では三女が好きです。
三宮ワケあり不動産調査簿 賃貸マンション、怪談つき
著者:秋田 みやび, イラスト:高田 桂
冷凍因幡Pが紹介してた小説二冊目。
ほんの少し読んでテンポが合わなくて読めなくなり、なにか機会があればまたページを開くと思います。
マンガでやさしくわかるオープンダイアローグ
向後 善之 (著), 久保田 健司 (著), 大舞 キリコ (作画)
定冠詞をつけたいくらいに「漫画でわかる」といった内容。
大まかに漫画でわかります。
まんがやってみたくなるオープンダイアローグ
斎藤 環 (解説), 水谷 緑 (まんが)
もう一冊のものとは違い、どちらかというと斎藤環とオープンダイアローグという内容。
心と他者 (中公文庫)
野矢 茂樹 (著)
最初の20ページくらいまで読んで頓挫してます。
今じゃないと思って積み。
感じるオープンダイアローグ
森川 すいめい
オープンダイアローグを学んでいく中で筆者自身が持っていた課題を受け止め、解決ではなく解消していく過程が綴られている。
オープンダイアローグそのものの解説はあまりなく、それを学んでいった自分と向き合い続けた記録です。
みんな苦悩を抱えてるなぁと。
「オープンダイアローグ」は本当に使えるのか 「現場」で活用するための多角的な検証 「オープンダイアローグ」についての報告 検証のための討議 技法と治療効果をめぐって (飢餓陣営せれくしょん)
飢餓陣営 (編), 佐藤 幹夫 (編)
とある組織の会合で「オープンダイアローグというものが入ってきたけどみんなどうよ?」と話して「ええんちゃう?そんなん使えるわけないけどね」という批判的に話がなされたときの記録(個人的な感想です)
とりあえずオープンダイアローグについての本を買い集めてた中の一冊で、中にはこういう批判的に書かれたものもあるよねとは思う。とりあえずいいと思うよという内容もあるにはあるけど、基本的には賛成されてないと感じます。
クラゲ水族館BOOK
鈴木朱紀子
はんドンのクラゲ担当(?)のすてらさんのおすすめクラゲ写真集。話を聞いて電子書籍で買ったけれど、これは紙の本がよかったなーと買って秒で思った一冊。
大学教授、発達障害の子を育てる (光文社新書)
岡嶋裕史 (著)
発達障害の子ども育てる中で、その様子を観察しながら自分の中にある発達障害的な部分を見つけていく様が書かれてる本。
主題が子どものことなのか自分のことなのかわからなくなるけど、子育て中に気がついたことを書き綴ったエッセイなので表題としては何も間違ってない。
対話のことば オープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得
井庭崇 (著), 長井雅史 (著)
パターンランゲージという手法でオープンダイアローグについてまとまっており、コツとなる言葉を取り入れていき学んでいく本。
少なくともこれ一冊じゃどうしようもなくて、あくまで体系を学んだのち副読本か手元に置いて参考にしていく本だと思います。
とはいえど対話というものについて本書から学ぶことも大いにあるので、オープンダイアローグという考えだけのものではなく有用な一冊になると思います。
環状島へようこそ トラウマのポリフォニー
宮地尚子 (編)
環状島とは伊豆諸島の青ヶ島のような形状の島のこと。
それを内外からの見た目や島の内外への行き来をモデルとして人々の持つトラウマへの当事者及び支援者のアプローチ方法を考えていくと言った内容。
本書内で論じられた環状島モデルをこれからどのように発展させていくかを課題として、今後のトラウマ研究において興味深いものとなってます。
協働するナラティヴ グーリシャンとアンダーソンによる論文「言語システムとしてのヒューマンシステム」
ハーレーン・アンダーソン (著), ハロルド・グーリシャン (著), 野村 直樹 (著 訳)
ナラティブと社会構成主義に関して学び直す一環で読み始め、何度も読み直すことになった一冊。
もとは1985年(だったか?)の論文。今では少し考えが更新されているものの、ナラティブとはなんだろうかと考えるときに大切なことが詰まっています。
アナログゲーム療育 コミュニケーション力を育てる 幼児期から学齢期まで
松本 太一 (著)
職場でアナログゲームを中心に活動を考えていこうと思い、業界内で表題のことを銘打って活動していらっしゃる方の考えを取り入れていくため、デスクの上に常に置いています。
ダイアローグ 対立から共生へ、議論から対話へ
デヴィッド・ボーム (著), 金井 真弓 (訳)
別の本で紹介されていたので購入。
ビジネス本のところにあったのですが、読んでいてやっぱりビジネス本のようだったのでとりあえず急がないと思い置いてます。
オープンダイアローグ
ヤーコ・セイックラ (著), トム・エーリク・アーンキル (著), 高木 俊介 (訳), 岡田 愛 (訳)
オープンダイアローグの教本の1つ。
オープンダイアローグについては今年になってしっかり学び始めたのだけど、哲学を身につけ知識の穴埋めをしていく過程で必要になったら開こうと思う1つのお守り的な一冊。
あなたへの社会構成主義
ケネス・J.ガーゲン (著), 東村 知子 (訳)
オープンダイアローグに至ってから、ナラティブセラピーをついて基礎から学び直す過程で、社会構成主義について身につける必要があり、よく参考にされていたものを読んでいます。
平易な文章ながら書いてある内容は飲み込むのに時間を要するものもあり、かなり読むのに時間がかかっています。
なんとか今年中に読み切りたい。
みんな水の中 「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか (シリーズケアをひらく)
横道 誠 (著)
今年のマイベスト。今年と言わず多分これまで読んだ本十選を作るなら確実に入れる一冊。
エッセイでもあり詩でもあり私小説でもあり。さまざまにマイノリティである作者から見た世界、感じる世界は共感も驚きもある。
ものすごくおすすめしたいのだけど、時として難解なので人を選ぶのかもしれません。
関係の化学としての文学
斎藤 環 (著)
途中まで読んで「それぞれ書評…というか分析の対象になった本を読んでないとどうにもわからない」と思い、とりあえず放置。面白く読めるんだけど…
そういえば古書店で買ってます。
つながりの作法 同じでもなく違うでもなく (生活人新書)
綾屋 紗月 (著), 熊谷 晋一郎 (著)
当事者研究を主軸に、アスペルガー症候群である綾屋と脳性麻痺である熊谷それぞれの体験談が展開されています。
綾屋さんの話は「ほんそれ、わかる」、熊谷さんの話は「わかってはいたけどそうなのか」と思うところが多々ありました。
ピアカウンセリングやナラティブセラピーをずっとテーマにしてきた自分にとってはまた新しい学びを得た一冊でした。
時間と自己 (中公新書)
木村 敏 (著)
少しずつ読んでます。
まだ序盤をなんとか読み込んでるところですが、自分の中で時間についての考えが少しずつ変わっていってるのがわかります。もしかして自閉スペクトラム症の人の時間の捉え方についてここから読み取れるのではないかとも考えています。
オープンダイアローグ私たちはこうしている
森川 すいめい (著)
オープンダイアローグの実践について、結局のところどうなんだろうということで読み始めました。
あくまでクリニックでの実践で参考にはなるけれど、これあくまでドクターがやってるからできてるんだよな…という気持ちを持つことになりました。
自閉症は津軽弁を話さないリターンズ コミュニケーションを育む情報の獲得・共有のメカニズム
松本 敏治 (著)
「自閉症の人は方言を話さない」のは何故かという前作の内容に対する意見を踏まえてさらに精査している内容です。
実際には方言を話している人もいることから、自閉スペクトラム症の特性、そのコミュニケーションについてなどを詳しく解析した上で改めて結論に向かっていっています。
コロナ・アンビバレンスの憂鬱 健やかにひきこもるために
斎藤 環 (著)
積んでます。
ちょっと違う本を読みたいとき用にあるのですが、色々と時間が足りないです。
発達障害 生きづらさを抱える少数派の「種族」たち
本田秀夫
発達障害系の本は似たり寄ったりになりがちで、そうでないときはちょっと突飛な内容なこともあるのですが、そういうこともなくその特性の捉え方や付き合い方についてとても分かり易い内容だと思います。
リエゾン ーこどものこころ診療所ー(1)
ヨンチャン(著), 竹村優作(原作)
漫画ですけどあえていれました。
自分の恩師は児童精神科医でした。ここに出てくる医師とは全くキャラが違って穏やかな方でしたが、いまの時代に臨床医でいらっしゃったならどんなふうに診察されるんだろうと読みながら思います。
昨今のこの作品内で取り上げられている問題が一般的に知られるようになってきた感があります。また自分がこういった現場の末席で仕事をしてきて、ここで描かれている物語はセンセーショナルな内容に見えるけれども、実際こんなことも少なくないので「うっ…」となることもあります。
なんにせよおすすめです。
哲学探究
ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタイン (著), 鬼界彰夫 (訳)
ナラティブセラピーや社会構成主義を学ぶ上でどうしてもウィトゲンシュタインは外せないので手元に置くことにしました。
来年から読んでいきたいと思ってます。
ナラティヴ・セラピー 社会構成主義の実践
S.マクナミー (編), K.J.ガーゲン (編), 野口 裕二 (訳), 野村 直樹 (訳)
買ったばかりで積んでます。
ナラティブセラピーの本ですが、社会構成主義を学ぶには最適としてちょくちょく挙げられていたので購入。
からだ・こころ・生命 (講談社学術文庫)
木村 敏 (著)
こちらも買ったばかりで積んでます。
積んでるというか持ち歩いてます。
大人が楽しい紙ペンゲーム30選
すごろくや (著)
仕事用に買いました。
こういう情報ならインターネットにたくさんあるっちゃあるのですが、紙の本として手元にあるのは大事です。
数人で遊べるものから、そんな人数で遊ぶものも!?と驚くような内容もあります。
急遽決まった自分の異動前に冒頭の同僚に渡したら「参考にしますね」と机の中に入れていたので返ってこないかも…
所感
昨年末からオープンダイアローグにハマって前半はそれに関する書籍を買い集め、そこから幅が広がっていった様子がよくわかります。
斎藤環先生の著作がよく目立ちます。以前から好きでしたが、ここ数年でとりあえず全部集めてみようかと思いはじめ過去の著作も集めるようになっていました。
夏以降に忙しくなり読書量が減ったことで本屋に数週間行かない期間もでてきて買う量も減っていってます。
来年は少し落ち着いていける(はず)なので、ゆっくり好きな本を読んでいきたいです。あとはもう少し楽に読めるものを持っておきたいですね。
*1:婚活のまとめを書いていた
承認欲求のこと
この記事ははんドンクラブ Advent Calendar 2020 14日目の記事です。
adventar.org
はじめに
皆さん幅広く興味深い内容を書かれていて、はんドンの末席で口に糊している者が何を書くことができるのか結構悩みました。
今年は引っ越したり婚活したり転職したりバイクに復帰したりとテーマとしては色々考え、今年読んだ本でもまとめてみようともしてリストを作ろうとして進まず。
最近仕事モードからなかなか切り替わらずに困っていたし、それならいっそ自分のフィールドで書いてみようかと思い至りました。
ぼんやり「承認欲求」のことにしようかなと考えて練っていました。ちょくちょく思うところがあったので。
このテーマなら仕事中にメモしてても仕事やってる風に見えるし!便利!
ただの持論の展開になるのでそのへんはご了承ください。思い込みなんて読みたくないという方は適当に検索して出てきたところを貼っておきますのでそちらをどうぞ。
承認欲求とか自己肯定感とか
「承認欲求」「自己肯定感」という言葉、個人的にここ数年ですごく流行っていたなという印象がとてもあります。なんでそんな悩むの?わかるけども。
特にTwitterで心理学的によく引き合いに出されていたのはマズローの欲求の法則のあれです。「自己実現理論」というらしいですよ。
ですが、ここは視点を変えましてエリクソンの発達段階からみていこうかと思います。何故かというと、マズローは散々語られているし、自分が普段エリクソンをよく扱っているから、ということになります。エリクソンといっても通信機器の会社じゃないですよ。最近見かけませんけど。
エリクソンてなに?誰?調べてみました。
エリクソンとはエリク・ホーンブルガー・エリクソンというドイツ出身の発達心理学者でアイデンティティ という概念を提唱した人です。
アイデンティティという言葉は聞いたことがない人がいないと思いますが「自己同一性」というもので、平たく言うと「自分って何者?」という概念のことです。「そんなこと知ったこっちゃねーや」と思う人もいるし、深く考え込んで探し回る人もいますが、なんでそんなことになるのかも後述するつもりです(あくまでここを書いている時点での予定)
エリクソンの著作”Identity: Youth and Crisis”は1968年に発表されているので、論文として発表されてからまだ50年ほどのものなんですよね。精神医学の歴史も120年と少し。エリクソンは精神分析の創始者ジークムント・フロイトの娘アンナ・フロイトの弟子なので歴史的にもそんなもんです。意外に最近のことですね。いかがでしたか?
エリクソンの発達課題
発達課題の一覧をみてみよう
エリクソンの発達段階というのは、マズローの欲求の法則と同じく、高校の家庭科の授業ででてくるものなんです。多分。教科書の副読本で見た気がする。もしかしたら中学のやつだったかも。知らんけど。
覚えてようがなかろうが多くの人が一度通ってると思います。絶対。多分絶対。
とりあえずこの表のものになります。
年齢 | 時期 | 導かれる要素 | 心理的課題 | 主な関係性 | 存在しうる質問 | 例 |
---|---|---|---|---|---|---|
0–2 歳 | 乳児期 | 希望 | 基本的信頼 vs. 不信 | 母親 | 世界を信じることは出来るか? | 授乳、愛着 |
2–4 歳 | 幼児前期 | 意思 | 自律性 vs. 恥、疑惑 | 両親 | 私は私でよいのか? | トイレトレーニング、更衣の自律 |
4–5 歳 | 幼児後期 | 目的 | 積極性 vs. 罪悪感 | 家族 | 動き、移動し、行為を行ってよいか? | 探検、道具の使用、芸術表現 |
5–12 歳 | 児童期 | 有能感 | 勤勉性 vs. 劣等感 | 地域、学校 | 人々とものの存在する世界で自己成就できるか? | 学校、スポーツ、仲間意識 |
13–19 歳 | 青年期 | 忠誠心 | 同一性 vs. 同一性の拡散 | 仲間、ロールモデル | 私は誰か? 誰でいられるか? | 社会的関係、学業 |
20–39 歳 | 初期成年期 | 愛 | 親密性 vs. 孤独 | 友だち、パートナー | 愛することが出来るか? | 仕事、恋愛関係 、育児 |
40–64 歳 | 成年期 | 世話 | 生殖 vs. 自己吸収 | 家族、同僚 | 私は自分の人生をあてにできるか? | 管理職、子供の自立 |
65歳 - | 成熟期 | 賢さ | 自己統合 vs. 絶望 | 人類 | 私は私でいてよかったか? | 人生の反響 、終活 |
Wikipediaからコピってきたものです。ほぼ間違えようがないことについてはほんと便利ですね。
とはいえ、余談になりますが、最近では「年齢」の部分はステージごとに漸増して+5歳くらいしてもいいんじゃないかなと言われていたりします。近年の社会の変化とともに心理的成長が緩やかになっていることが理由です。青年期、だいたい25歳前後まであってもいいんじゃね?と個人的にも思ってます。
表をみてもよくわかんないですよね
さて、それぞれ心理的な発達のステージとそこにおける乗り越えるべき心理的課題(危機とかクライシスといいます)と、そこから導かれる要素があります。
それぞれにステージに心理的課題がありそれらを得られる関係性の人たち(得られ易い人と考えてください)と共にクリアしていきながら進んでいくものとなっています。とはいえ人生を複数回プレイしていない限り、初見プレイで仕様の説明もないままスポーン地点もランダムで各ステージは強制スクロールで進んでしまい、完全にクリアしようかそうでなかろうが進んでしまう鬼畜設定です。というかそもそもそれぞれステージの完クリはないです。満点の設定はないし、プニキを初見プレイ20分でクリアできるか?みたいな。
心理的課題に”vs”とありますがRPGにおけるアライメントみたいなものです。クリアしたスコアでLawやChaos、goodやevilに寄っていくという理解でいいじゃないかと思います。
余談ですがそこからカオスフレームも変化していくのでしょう。タクティクスオウガの設定みたいですね。PS版で再販しないかな。運命の輪はなんか違ったんだよ。
例えば児童期なら「勤勉性 vs. 劣等感」です。幼児期の「積極性」をスコアが高いと「勤勉性」を得やすいですし、そうでなければ「罪悪感」から「劣等感」の流れに進み「どうせ自分なんて」と思うようになり「勤勉性」を得ににくくなりますね。
救済はあります!
発達課題はどれ一つとっても省けるものははなくそれぞれが土台になって積みあがっていくものですので、しっかりと乗り越えていくことに越したことはないものになってます。
先程ステージは課題をクリアしようかそうでなかろうが進んでしまうと書きましたが、あとからでもそのスコアを稼ぐことはできます。ただ、そのスコアを得られるステージじゃないので長期間でゆっくり少しずつになると思います。しかもそれを得られる関係性からは得にくくなっていくので、代替の対象からになる場合が多く、稼げるスコアも低くなります。(便宜上スコアと書いてますが加点減点するものでもないです。一応)
得にくくなっているものに短気を起こして強力なのを一発打ち込もうとしても結果としてあまりよくないものになるんじゃないかと思います。行動だったり関係性だったり。よくありますよね。「何が」とはここでは書かないですけど…
とかくそういうものでしょう。人生なんてきっとそんなもん。日進月歩。一歩進んで二歩下がる。
無条件の肯定をされよう
「承認欲求」得たいのはどんなとき?
ここまで長い前置きでしたが、実際に承認欲求を満たすにはどうすればいいのかという話になってきます。
完全に観測範囲での話になってしまうのですが、大抵「承認欲求」を得ようとしていると思われることは(揶揄としても)絵だったり作ったものだったり、どこかの学校や会社に入ったとか仲間がいるとかそのへんになっているんじゃないかなと思います。
先程の表でみると幼児期後期から学童期でクリアする課題になってます。なってると思ってます。勝手に。
なのでそのへんにアプローチすればいいとわかりますね。
先程も軽く触れましたが、学童期の勤勉性を得ようと思ったら、幼児期後期の積極性が高いほうがいいし、幼児期前期の自律性が高いほうがいい。そもそも乳児期の自己肯定感が高くないと積み上げにくいですよね?
「じゃあ自己肯定感を得ていこう」となるんですよ。
2ヶ月ほど前にも関連することをtootしてますね。
引用ついでに…アイデンティティの形成進度によってさきほど触れた「深く考え込んで探し回る人」もでてくることになります。いわゆる自分探しの人。個人的には『ハチミツとクローバー』の竹本くんなどが印象深いです。「青春スーツ」ですね。年齢的にもピッタリでしょう。
無条件の肯定とは
肯定するってのは有り体に言えばほめるという言葉でしょうか。ほめるということは肯定するということですよね。
さて、ほめるときに条件付きでほめてしまうとほめられる人にとってその条件が満たされないとほめられない、条件が満たされないときはだめなんだと考えてしまうこともあるのでほめるときは条件はなるべくないほうがいいと考えてます。
条件にしたものの評価としてほめるのはとてもいいと思います。それをやるのはなかなか難しいんですけど。
無条件の肯定とはありのままをほめるということでしょうか。
基本的信頼感を得る時期、無条件の肯定を受ける時期は乳児期です。
当然なんですけど、この時期の人間は生きていくために必要な最低限の活動をすることがすべてです。自分からほめてほめてとは思っていません。まだ自分と今いる世界がうまく分離していない状態ですから。自分が世界です。
養育者のほうも、これをしたからほめてあげるというものでもなく、その存在だけでほめるでしょう。(育児疲れや産後うつなどありますが、往々にしてそのように感じるとして)
赤ちゃんはただ生きてるだけで褒められます。ほめてあげましょう?生きてることがじゃないですよ。条件なんてないです。存在そのものが有り難く褒められるべきです。
これが無条件に肯定というものです。
肯定ペンギン
肯定ペンギンというキャラがいます。
彼(?)らは基本的に「息しててえらい」「遊んでてえらい」など、生きているだけでほめてくれます。ほめるというより、認めてくれる。生命活動そのものを肯定してくれるキャラです。
さて、完璧に見える肯定ペンギンであっても、だいたいが条件付きになっています。条件がついてもまさに息をしててえらい、寝ててえらい、食べてえらい程度のものですが。
それはしかたないんです。それをやってしまうと拡張性がないですから。幼児期前期の自律性の時点で様々に条件が付き始めます。ほめられることに条件を欲するようになるし、ほめるのには条件がつくものだと思いがちです。なにもないのにほめられることに違和感を感じる人が多いですからね。だいたいそういう風にできてます。違和感なくできる人ももちろんいると思いますよ。
生きてるだけでほめられよう
さて、ここまでくればもうおわかりですね。
無条件にほめられましょう。生きてることをほめましょう。
「いきをしててえらい」「寝て起きたの?えらい!」
そうやって承認欲求をみたしていきましょう。必要と思うなら。必要と思う人に。
できればどちらでもない人にも。
誰にかは知りません。それぞれ生きてる環境が違うので。
私を支えてくれる彼くんとかパートナーとかがいる?それならそこから勝手に得やがれ。突然登場させるな。
そうでないときは、近くの人をほめてみましょうか。それはいつかきっと自分に返ってくる。そう思っていると幸せでしょ?
*1:機動警察パトレイバー後藤隊長の有名なセリフ
2018年総括
大まかに
今年一年の所感として前半なんとか生き長らえて、後半巻き返し始めたという感想です。
特にライフスタイルが大幅に変わったので、心身ともに変わりました。
特に昨年秋から続けてるダイエットはかなり効果を上げ、1年で20キロの減量に成功。またダイエットのために始めた散歩でしたが、それ以外に様々な効果がありました。
また、夏頃からTwitterからMastodonに移行、半年ほど経った現在ではすっかりこの状態に慣れました。それでもまだまだTwitterが必要な面もあるので適時使っています。
来年からは今年の反省を生かして、働き方も変えていきます。
変わったこと
車のない生活
さて、ライフスタイルを大幅に変えることになったのは、一昨年秋の神戸への引っ越しに伴う、車社会からの脱却です。
徒歩圏内で生活が成り立ち、移動は公共交通機関を使っていく生活なりましたが、現在ほとんど不便を感じていません。
短い距離でも車を使うのも荷物がある場合はそれはそれで便利ではありましたが。
車を所有することによる金銭的コストも心理的コストがなくなったので、その両方で楽になりました。
結果として、散歩という趣味にいたり、生活の主軸になりました。ダイエットも9割は散歩の効果です。
散歩
散歩は当初、歩いて自分の生活する範囲のことを知っていこうということで始めました。
なんとなく神社巡りをするようになったことも影響してます。
今年のはじめはまだ体重が80kg台後半で、走ると確実に膝がダメになると思ったのでとにかく歩くようにしました。
ジムにも入会しているのですが、土地柄高齢者が多く、あまり聞きたくもない話題が聞こえてくるのですぐに行かなくなりました。一回ごと利用料金を払うタイプなので、特に問題ないですし。
散歩については、1日1万歩を基準にiPhoneのWalkerで管理しています。仕様の変更で ヘルスケア→Walker への歩数データの移行が少し微妙になっていますが、統計としては概ね使えているのでしばらくは使っていきます。
寒くなる前は、少しでも膝に違和感があると自転車で軽く10~15km程度走ってみるようにしていました。休みと天候の影響もあり最近サボり気味になってます。とはいえ12月末まで勤めていた会社へは通勤は自転車でした。
散歩の副産物として、徒歩と自転車で居住区内の神社にすべて行きました。御朱印は集めていないので行ってお参りして写真に収める程度です。
ダイエット
散歩を主軸に、朝食はプロテインとバナナ、あとは昼夜は好きに食べていました。間食はもともとあまり摂らないので、たまにコーヒーとなにかを食べる程度です。お腹が空いたらプロテインを飲んでいました。
目指したのは数年で落ちた筋肉を戻し基礎代謝の向上。目的はマスターズ陸上への参加などです。
4年前の70kgを目標におおよそ90kgからのスタート。8月頃には80kg前後まで落ちていましたが、そこからなかなか落ちなくなり、現在75kgほどです。
むしろ4年前より筋肉質になったので、目標をまた見直す事になりそうです。
年齢的にもあまり落としすぎると逆に不健康に見える気もするので、客観的な評価も必要だと思ってきています。
仕事
昨年末にバタバタと決まった仕事は見事にイリーガルでアレなところだったので*1、そうなる前に3月いっぱいで退職しました。
3月から4月にかけて某外資との話が進み、誰も彼ももう決まりだろうと思ってたところ、最終の社長面接で落ちてしまい…しばらく辛い目に遭いました。
それからしばらくは起業も視野に入れ、勉強したりと準備もしていましたが、色んな面で時期尚早だと思い凍結。7月に別の会社に入社しました。8月末で退職したり、結局また10月から12月末まで働いていましたが。*2
そこでの色々はさて置いて、そこで出会った上司から市内の勉強会を紹介していただけました。そこで出会った様々な人から、例えば来年からの仕事に繋がっていき、これからもなにかあれば声をかけていただけるようになりました。
業界の中でも専門の業種は法律や条例が穴だらけで、よろしくない会社や人が跳梁跋扈しているので*3、しばらく別の業種で働いて勉強し直すことにしました。
身内受けしかしない表現ですがしばらくは「流しのヘルパー」です。児童が専門ですが、成人のお世話をする人をしばらくやります。その技術はあまり持っていなかったので、資格も含めてちょうどいい機会でした。
端的に稼げる仕事という理由があるのですが、働いただけ金になるというやつなので逆に働かなかったら金にはなりません。運用も考えて動く予定にしています。
大学院に入れるだけはとりあえず稼ぐつもりです。相談職が必要に迫られて現場で動いていましたが、そろそろ本業に戻りたいので。あと公認心理師もできたし、そのために必要な単位や資格を得たいので。
私生活
夏くらいまではどうやって生きてたのかわからないくらいでしたが、上記した8月での勉強会での仕事関係の出会い、Twitterの仕様変更からのMastodon移行が同時期でそこから一気に変わった印象があります。
2008年7月から続けていたTwitterは色んな人が増えすぎ、いろんなことに辟易してたところもあって、昨年のMastodonブーム以降 jp鯖で細々と活動していました。
そのjp鯖も不穏な感じがしたので、TwitterのUserStreamの停止前に流れに乗って、はんドンクラブ(https://handon.club/)にアカウント作成。
Twitterから軸足をほぼこちらに移して、そんなに多くないこれまでも遠くなかった人たちのなかでやっています。学ぶべきことが多いと気がつくことになりましたし、少しずつ自分がどんな人間か気がつけるようになったことはかなり大きいです。
日常生活の中でも、最小限の必要な人との付き合いをするようになり、無理をせず身の丈にあった生き方をできるようにしています。
来年からはもう少しだけ範囲を広げていけたらいいかなと思っています。気持ちのリソースが少しずつそちらにもつかえるようになってきたので。
この1年で勉強もスキルも足りないことを改めて実感したので、安定して勉強できる環境を整えていこうと思っています。
あと今年はやっと大型二輪免許も取れたので、バイクに乗れる環境を手にするという目標にも進んでいけたらと。
総評
一年を通して、様々な面での立て直し、新たなスタートという大きな流れがあった年でした。
もう少し色々できたんじゃないのかと思うところもありますが、今はこれが精一杯と思いながらやっていたので、来年は反省点を活かしつつ安定を計り、次のステップの足がかりにしていきたいです。
聖地に引っ越した話
この10月に神戸市に引っ越してきました。
兵庫県の北西部に生まれ育って高校卒業までいたので、神戸は住んでも不思議でない土地ではあります。
ただ、個人的にはこの土地にはいわゆる「聖地」に住むという意識を持って住み始めました。色々考えて身の丈にあった場所だとも思いまして。
聖地とする場所へ引っ越しまで
細かく書く必要はないと思いますが、自分の好きな作品の舞台となった土地に移り住む人、住もうとしている人、良かっただめだった様々なお話を散見しました。
かくいう僕も高校の頃から読んでいた木村紺「神戸在住」が大好きで、いつか神戸に住もうと思っていました。
岡山の大学に行っていたので、まずは学部卒業の前にちょっと神戸市内に就職活動っぽい動きをしていましたが、折しも氷河期世代、速攻で諦めて大学院へ。
院卒後、しばらく岡山で仕事をしていて、10年ほど前に神戸で就職活動をしていましたが、見事にリーマン・ショックのあれこれで叶わず。
4年ほど前、結婚を機にと画策しましたが叶わず。
紆余曲折を経て、この秋におひとりさまになり、家を探していたら希望していたところにたまたまいい物件に見つけ住み始めました。
直前まで数ヶ月ほど夫婦で住むマンションを探しており、それが単身で住むという条件になり自分ならこの辺は我慢できるという妥協点を持っていたのが幸いしました。
神戸とは
神戸といっても三宮や元町を有する中央区を中心に、東に灘区・東灘区・西に兵庫区・長田区・須磨区・垂水区、山の方に北区・西区とそれなりに広く、ぼんやりと「神戸に住む」と思ってもわからないものです。
結論からいうと、今は兵庫・長田区近辺に住んでおり大変満足しています。職探しも少し苦労しましたが、自宅から2駅、自転車で通える範囲が職場で悪くないです。
作品の舞台と住む場所
「神戸在住」において、主人公たちが通う大学があるという中央区から西の地域がわりと多く描かれています。
というのも、主人公の辰木桂の住んでいるのが、長田神社周辺の長田区宮川町付近(引っ越してきてタクシー運転手に伝える住所が宮川)で、最寄りが市営地下鉄長田駅、山陽電鉄長田駅なので、どうしてもその沿線が多く登場します。
単純に住むのを考えたとき垂水区・須磨区・北区・西区はベッドタウンでメリットや他の区と比べてアドバンテージがない気がしたので候補から外し、中央区・灘区・東灘区は割高なので第2候補、下町である兵庫区・長田区あたりは比較的安価な物件が多く、なにより桂の住んでいるあたりということで、ここをメインに探していました。
町おこしをやろうとした土地
以前から新長田駅周辺で鉄人28号ができたり、何かしらオタ趣味を持った人を対象にした町おこしをやっています。僕も少し乗ってみようかと思っていたのですが、本格的に移住を検討する前に盛大にコケたり、問題が勃発してうまくいかなかったようで…残念です。
「神戸在住」は2015年に実写化されて映画館やテレビでやったそうですが(未視聴)町おこし的オタ趣味的な何かに登場するということはまずないでしょうね。あったら教えてほしいくらいです。
僕は作品のファンであり、推しのキャラがいるわけでもないので、「ここは作品にでてきたな」と思うことはあっても「桂が描いた平盛俊塚だ!」(「プロムナード遊歩道」1巻pp44~46)とはあまり思うことはなく、この辺描かれてたよなと散歩がてら見て回る程度のものです。
もっとも、作品が世に出てから20年近く経っているので、作品の核となる元町高架下商店街がなくなりそうだとか、大学の面々と遊びに行ってる神戸ポートピアランドが閉園したり、桂が引っ越してきてから向かった菅原市場が今年2017年の夏に閉業したりと、作品を取り巻く風景も変わってきています。
理由が高齢化など様々あるのですが、大きいのはやはり震災の爪痕でしょう。このことについては多くは語れません。同県民としてよく理解していてもです。ふとした会話に出てきて、そのたびに悩みます。
これは作品内でも見かけるものですし、気にしないように気にしてるものです。
他者にとってはなんでもない土地
神戸市は政令指定都市であり、例えば大洗とは比べるには条件が違いすぎる土地なので、もうちょっと狭く長田区と兵庫区でみると、やはりどこも同じで若者が少ないとかなんとか人集めをしたいという話を聞きます。
住んでみて最初に思ったのが、高齢者が非常に多い。若い人だなと思ったら大体中国人。元々中国や韓国の人が多い土地柄とは言え、スーパーやコンビニのレジは日本人より中国人のほうがよく会います。
僕自身が若者とされる年齢ではなく、単身しかも仕事などの理由でなくこの土地に来たので、「なんでまたここに来たの?」とたまに聞かれ、そういったとき話を準備してなかったことを後悔します。子育て世帯がくることはあっても、40近くの単身の男性がくることはあまりないんでしょうし。
大洗のガルパンさんという便利な言葉もないので「この辺が好きだから来たんです」と答えますが、「他の場所があるだろう」という人もいたり、あまり納得した顔をされたことはないです。20代だったら少し違ったのかもしれませんし、そこは話す人により個人差あるのでなんとも言い難いですが、これまでの2ヶ月で経験したことです。
都市部ではない他の聖地に思うこと
僕は神戸に来る前はずっと車に乗っていました。生活にどうしても必要でしたから。神戸に引っ越すにあたって、車は売りました。電車と徒歩で困ることはないので。困ったらカーシェアリングがありますし。
聖地に移住する人した人、多分地方では必要になるであろう車などはどうしてるでしょうか。結構お金の面でも精神的な面でもコストになると思うんです。カーシェアリングはあまりないでしょうし、公共交通機関だけではどうしようもない部分が。
車はよほど都市圏でない限り、その土地で仕事を探すとき必須になると思ってます。家で全部できる場合を除き、通勤や場合によっては仕事場で乗ることもあるでしょうし。
これまで車を所持せず都市圏から移り住んで乗った場合、数年持ってみて思った以上にコストがかかってると感じてると想像してます。
車を持たない生活になって数ヶ月で、こんなにも楽なのかとビックリしてるので、逆に強く思うんです。この辺が特に「身の丈にあった場所」という所以です。
コストもそうですが、ないと生活できない土地はいつ自分がコンビニに突っ込む立場になるかわからないですからね。永住か一時的に住むかの違いはかなりありますが…
買い物は全部通販は無理でしょうし、なんだかんだであると便利じゃなくないと困ることあると思います。互助会のようなものでシェアできれば別ですが。
まだ引っ越してきたばかりで
引っ越した話と作品の舞台に住む話がどちらも中途半端ですが、僕はずっと目指してきた場所がたまたま都市圏で移ってから日も経ってないので多く語れることが見つかってません。一つ言えるのはこのまま好きな作品の風景がみえる場所で生活していけると思えること。移住はそれなりの人数で移住などもいいと思いますし、僕のように個人的に聖地化して住むようになる土地というのもあるでしょう。有名無名様々な作品がありますから。
2015年という幕末
縁あって、とある神社の宮司さんの話を聞くことが最近ちょくちょくありまして、なかなか興味深いことを話されるので、走り書き程度に。
正確な年齢は聞いていないのですが、80歳を少し過ぎた宮司さんで、お祓いなどの神事は息子さんに任せて、社務所の一室で色んな相談に乗っておられる方です。
例え普通の神社での話でもあっても、割と現代の日本においては宗教アレルギーの方がいて、こういう出だしで話をすると耳に蓋して回れ右という方がいらっしゃることがありますが、ほとんど宗教とは関係のない話です。
宮司さんとなんの話をするにも、話の枕に以下のことを言われます。
「今の世は幕末やから自由に生き」
「20世紀は努力して競争に勝った負けたという世の中やったけど、21世紀は競争いうもんがなくなった。逆に楽をする生き方がようなった。楽をすればするほどそれを羨ましがられ、勝ちやいわれるようになった。20世紀の努力して競争に勝ついう生き方してもえらい(しんどい)だけやで、あんたらが育ってきたときに教わった努力して勝ついう考えは忘れたらええ。それが今の世の生き方や」
「阿呆になり。ほやけど馬鹿になったらあかん。馬や鹿みたいに慌てて走り回ってもどないもならん。阿保にはめんどくさいこと聞かんでええんじゃ。呆けて聞かんふりしとれる」
「今は幕末」という話はなるほどなと割と思うところがあります。幕末と言われる理由として聞いたことを大まかにまとめると、「黒船が来たわけではないけれど、TPPの問題や朝鮮半島や中国との問題、震災や噴火、ちょうど幕末と同じようなことが起こって、国政も不安定になっている。そこに尊王攘夷とは言わずとも、右や左とよく声が上がるようになっている。インターネットいうものができて同じような考えのもんが集まりやすくなった」ということで、「だから、なにをどう思おうとも何をしようともあなたが向かいたい方へ自由にやりなさい」と。
「20世紀の考え方でおるもんが勝ったや負けたや決めたがるけど、今の世の中でそういうてもどうしようもないことやから、阿保になっといたらええ。惑わされんと自分の思うところに進みなさい」とも。
そこから色んな事が考えられるのですが、今の私は明日も生きていられればという割と切羽詰まっている状態なので、大局はみますがとりあえず目の前の草刈りをしないと守るも攻めるもなので皆まで申しません。
話される宮司さんは年齢から体も動かしにくく、舌も回りにくくなって注意深く聞かないと聞き取りにくいのですが、「自由に楽にめんどくさいことはほっといて、しかしながら付和雷同にはならず自分を持って生きなさい」と、それなりのお宮の宮司さんがおっしゃるととても頭に残ります。
最近はTwitterもFacebookもどちらかというと眺めるだけのようになっているのですが、一つの事柄をとある思想の人は賛美して、とある思想の人は批判して、とある思想の人はそのどちらかを批判してるというのをよくみます。
特に実名のFacebookはその色が濃く「Facebookはまともな人ばかりでよかった」とその内輪以外だと反論や叩きにあう内容を中年期の割と社会的地位が高い人たちが確かめ合っている様が流れてくるのは興味深い現象だなと思います。
元々テレビを見ないので昨日ふとFacebookを見るまで詳しくは内容は知らなかったのですが、年末に起こったことで「サザン最低」と「サザン最高」という同じ事に対する全く別の評価のスレッドが並んでいたのは面白かったです。
宮司さんと話していることは上記と全く関係なく、私の住んでいる地方は祭りが盛んで、私も地元のとある社で獅子舞をやっている関係で神事なんかの話をしに行っているだけなんですが、ここ一ヶ月ほどで何度も聞いて印象に残ったことなので、書き記しておきます。
追記
詳しくは覚えていないのですが、維新の会という政党ができたときに幕末のようだからという理由で維新と名がついたような気がします。多分、そことは違う考えで言われているというより、意に介せず幕末とおっしゃっているようです。
ありのままを受け入れるということの大切さ
今朝方、母の姉、大阪の伯母が亡くなりました。数年前に大腸がんが発覚し抗がん剤で症状を抑えながらの生活が続いていました。発見段階からすでに手術不可能なほど転移もしていたので最初からターミナルケアでした。それはそれでまた語るべき事ですが、またの機会に。
私も大概おしゃべりだと言われます。しかし、伯母は本当によく喋る人で、私以上に喋る母も相づちを打つくらいになるという感じで、母方の従兄弟と「おばちゃんが喋らへんなったら、ほんまにあかんときやわ」と冗談で言っていたものでした。
抗がん剤導入時以外、通院しながら自宅で生活していましたが、先月末危篤状態になり、もう目を覚まさない可能性が高いと言われていました。流石に私も腹をくくりましたが、一時的に意識を取り戻し、状態を見に行ってた母の前で「邪魔や」と酸素マスクを取り外してまた喋り出すような人でした。
幼い頃から大阪に行くときは必ずお世話になり、おおらかでかつ賢明であれこれとエピソードをもっている人ですが、自分が福祉の道に本格的に入ってから本当に伯母がすごいことに気がつき驚きました。
息子である従兄弟は、私より10歳以上年上ですが、幼いながら変わった人だなと思っていました。
会っても一切喋らず、いつもボロボロの国語辞典と漢和辞典を片手にクロスワードを解いていました。
伯母は「この子喋るんが苦手やねん」の一言で、それ以上でもそれ以下でもなく普通に母をやっていました。
私が大学院で自閉症スペクトラムを本格的に学び始め、現場に出たり、日本各地、世界各地の状況を知り始めた頃、兄は勤めていた事務所が潰れ(PCでの事務的な作業だったため喋らなくても問題なかったらしい)無職で家にいるようになりました。
再就職しようにも、年齢的な問題や喋らないという事からままならず、流石の伯母も少し困ってる様子でした。
その頃の私はもう自閉症とはどんな障害かを事細かに教わり、兄がそうである確信めいたものを持ちはじめていたので、伯母に電話し兄が自閉症という障害の可能性が高いことと大阪での相談場所や使える福祉サービスについて話しました。
結果、兄は典型的なカナー型の高機能自閉症と診断されました。
40歳近くまで発覚せず、また社会不適応も一切起きてなかったことに担当した医師は驚いていたそうです。
兄はそれなりの大学も出ており、喋らないこと以外は特にこだわりがないように見えましたが、発覚してから少し勉強した伯母は、「ああ、こういうのがこだわりになるんやね」とあっけらかんと、時間、順序、様々なこだわりのあるようなことを話していました。
私の数少ないながら現場で会ったことのあるお母さん方なら、確実に気にして誰かに相談しているような事でした。
伯母に言わせれば、「そういう子なんやな」の一言で全てが片付いていたらしく、問題意識を一切もったことがなかったそうです。
その兄が高校入学した際、主席で合格したため入学者代表で挨拶をするように高校から言われたそうです。だが、当然兄はうまく喋ることができないため「この子喋るんが苦手やから2番目の子にやらしてあげて」と断ったそうです。
何かにしろ特に障害という概念はなく、「苦手やねんな」の一言で全て片がついてしまう。
私がうつで倒れたときも「しんどかってんな。休まなな」と過度に心配する母をなだめてくれていたようです。
師から教わった「ありのままを受け入れる」を本当に地で行く人でした。
自らの病気に対してもその態度は変わることなく、病状が酷いとき大変だったということを話すことはありましたが、特にそれで弱音を吐いたり愚痴を言うことなく、どこかに旅行に行ったように「こんなことがあって大変やったわ」とあっけらかんと話していました。
兄は、その後近くの知的障害者の作業所を紹介され最近まで通っていたそうですが、自閉症というだけで知的には高く、作業も簡単にこなすため、他の利用者さんから尊敬され、それが嬉しく安定した生活を送っていたようでした。
ただ、職員さんは、兄は自閉症ながら知的に高いしふさわしい場所があるはずと、正規の職を斡旋してくれようとしていたようです。
それが去年。伯母に最後に会ったときの話ですが、今頃兄はどうしているのか少しばかり気になります。伯母のことですから、それなりに何とかなるようにしていたでしょう。
障害、ことさら自閉症に関しては、周囲の環境、特に家庭環境というのが生育に本当に大きな影響を与えるものだと教わりました。
知識もなにも持たず、単純に、本当に単純に「ありのままを受け入れる」を実践していた伯母はナチュラルに最良の療育者でありました。
私にとってこれから先もずっと尊敬する人でしょう。