2025年に読んだ本
2025年に読んだ本を思い出せる限り挙げていきます。
だいたい「小難しい本」と「サラッと読める本」の2冊くらいを並行して読み進めて、電子書籍も利用してるので、読めないとき、カバンから出すのが面倒なときなど読み分けてます。
「斜め論 - 空間の病理学」 松本卓也
界隈(?)で話題となった「斜め論」
全体的に興味深い内容だった。ヴィトゲンシュタインのことになると「いや、まぁ、そうね」くらいの理解度でしか進められず。
とはいえその辺がどうやら話の核となってきてるし、半分くらいの理解で走り切った読後感。
通勤中に細切れで読むには難しかった。
「発達障害の人には世界がどう見えるのか」井出正和
電子書籍で買っててなんか読まずに置いてた本。上記「斜め論」を読みながら軽く読む本として、別視点を得られてちょうどよかった。
感覚過敏と感覚鈍麻についてそこそこ研究が進んでいることを知り、そっちの道をやってみたかった身としてはかなり勉強になった。
「目の見えない人は世界をどう見ているのか」伊藤亜紗
これも置いたままの電子書籍で、下記「バッタ倒すぜアフリカで」を読み終わったあとに軽く読むならこれかなぁと読み進めた本。
上に挙げた「発達〜」と同じく、別視点や考えを得られる機会になり小難しい本の理解を助けるものになりました。
「裸はいつから恥ずかしくなったか」中野明
恥ずかしながらちまちま読んでなかなか進まない電子書籍。裸に恥を感じるようになったのは明治以降、政府のわりと無理矢理な近代化政策の結果だったとかなんとか。とても面白い。
「スーパーカブ」トネ・コーケン
紙の本で持ってるがどうにも読まなくて、たまたま安いときに電子書籍で買い読み進めかけてるシリーズ。多分3巻くらいまで読んでる。コミカライズを読んでるので内容を知ってるものをノベルズで…となると別のものをついつい読んでしまって結局あまり進まない。前述における「サラッと読める本」(サラッと読めてない)
「関係の世界へ」ケネス・J・ガーゲン
「ダイアローグ・マネジメント」ケネス・J・ガーゲン
「現実はいつも対話から生まれる」ケネス・J・ガーゲン メアリー・ガーゲン
社会構成主義を学ぶにおいてケネス・J・ガーゲンは必要不可欠な人。とはいえ近年の著作の数はちょっとしんどい。
「ダイアログマネジメント」は組織論で、確かに社会構成主義の考えを活用するにはうってつけなんだけど、あまり興味がないから困る。ビジネス書は得意ではない。
ここで「社会構成主義」とはなんぞやはやらないが…自分の中に考えを取り込んでいくためには興味ないところもひとまず表面だけは触っておいた方がいいし、当然人と人の集まりは「組織」に至るので触らないわけにはいかず。
これら全ての書籍の内容は時流に合わせて少しずつ変わってるのはさすがだと思う。社会構成主義は思想として世界の流れの中で常にアップデートするものなので、核となる人のその変化の仕方には頭が下がりっぱなし。
「精神医学と哲学のあいだ」編集 芝伸太郎 野谷啓一
木村敏論です。
「飢餓陣営セレクション 木村敏と中井久夫」
「当事者研究の研究」石原孝二 編
下記「暇と退屈の倫理学」の文庫版終盤に触れられてた熊谷晋一郎先生の文章を読むために買った本。「当事者研究」は斜め論でもその他自分のテーマであるオープンダイアローグを日本の書籍で学ぶとき必ず出てくるもので、かつて学生時代に「自助グループ」の研究をしていたときにも出てきていたのだけど、どうにも自分の中ならうまく取り込めてないもの。色々読んでもどうもうまく入ってこない。
「暇と退屈の倫理学」 國分功一郎
この本はすごく知れることが多かった。
いま近くに置いてないのでひとつひとつ持ってはこれないのだけど、同氏の「中動態の世界」より読みやすく感じた。「中動態の世界」は未だ半分しか読めてないから読まないとなぁ…
“NO THRU ROAD” CLEMENT SALVADORI
打って変わって洋書。1970-90年代にバイクで世界中を旅して回ってたアメリカの旅ライターの自著。『英語を読む練習でも…めんどくさいから写真で撮ってChatGPT に送って翻訳してもらお』と途中から対訳として訳文を横に置いて読んでたんだけど、途中で面倒になって頓挫してる本。
面白いんやけどね。あと、この方の旅は自分の目標(モデル)としてる。
「中井久夫 心の病の「豊かさ」を読む」斎藤環
斎藤環先生による中井久夫先生論。これまで中井久夫先生の本を読んできたのだけど、考えや技術は本人の著作ももちろん大事なんだけど識者の解説を読む方がわかりやすいことを認識した本。その後上で挙げた中井久夫論や木村敏論を読むに至った。
「臨床瑣談」中井久夫
「続 臨床瑣談」中井久夫
中井久夫先生のエッセイになるといえばなるし色々学べるというとその通りの2冊。
「イルカと否定神学 対話ごときでなぜ回復が起こるのか」斎藤環
買ってからしばらく積んでいた本。
今年の2月に蓼科の3万冊の蔵書がある温泉旅館に逗留して本に埋もれてた際に読み散らした息抜きに読んだら勢いがついて帰ってから再び読み始めた。これまでの氏の本の中でも格段に読みやすくなった感がある。内容はオープンダイアローグについてがほとんど。
表題にある「イルカ」はグレゴリー・ベイトソン「精神の生態学」の表紙に描かれてたイルカの事。この本は出版社がなくなり稀覯本のひとつになってたのだけど、最近岩波文庫から「精神の生態学へ」として全3巻で文庫版となり手に入るようになった。上中下のうち中で読み進められなくなってるので読めるようになりたい。
「モモ」ミヒャエル・エンデ
言わずと知れた児童文学の名著。
とはいえ、ここから学ぶことが多い。今だから読んだ方がいいと思い、改めて必要なものだと感じた。
「幸あれ 知らんけど」平民金子
前作「ごろごろ、神戸。」の大元になったSUUMOの都市ごとのエッセイを読んで以来、この方の文章はちょくちょく読んできてた。
一度もお目見えしたことはないけれど、生活圏の輪っかが被ってる。というか最初に兵庫区に住んだきっかけのひとつになってる。
「バッタを倒すぜアフリカで」前野ウルド
前作「バッタを倒しにアフリカへ」の続き。
自分が子どもの頃はいわゆる昆虫博士でそういう学者を目指したこともあったので「こういう道に進んでいた未来もあったかも」と思いながら読んでいた。
「僕に踏まれた街と僕が踏まれた街」中島らも
中島らものエッセイ。
最初に読んだのは高校生の頃。同じ頃に「ガダラの豚」を読んだ記憶がある。
職場の人が伊丹から三宮まで飲みにいくというので「そういえばこの人も尼崎から三宮に行って飲んでたなぁと」なんとなくまた読みたくなり電子書籍で買って通勤のときに通読。
「永遠(とわ)も半ばを過ぎて」中島らも
上記の本のあとに読んだ小説。
何がきっかけだったか「言葉」というものについての表現にささるものがあり読み始めた。
「表像のアリス テキストと図像にみる日本とイギリス」千森幹子
神保町で見つけて、ほぼ冒頭だけ読んだ本。
「性現象事典」小宮卓
こちらも神保町で見つけて、興味深い項目だけ少し読んだ。持ち歩くには少し大きいので自宅でたまにめくってる。
おわりに
とりあえず本棚をパッとみて集めてみたのだけど、おそらく抜けは多々。
通勤中に読むことが多く、細切れになるだけでなく、体調や心身の状態によって入ってくるとき入ってこないときの差が激しく難儀した。
基本的に紙の本で。時間の短いバスや乗り換えの際には電子書籍が楽だから軽めの本を読むという流れができてる。
2026年も同じようにやっていきたい。
積読がやたら多く、考えを身につけておかないと読めない本、身につけたら読み方が変わる本があるので、行っては戻りが多い。
そんなこんなで2025年の本たちでした。
諸事情あるあるないよ
先日のことです。
仕事帰りにスーパーによっていました。帰宅前に買い物する人でごった返していて、どのレジにも長蛇の列ができていました、
レジに並んでいると、横から黒いコート姿の壮年の男性が大きな荷物を抱えまっすぐこっちに向かって歩いてきました。
そのまま、自分と後ろに並んでいた壮年の女性に体当たりしながら「どけよ!通路だろ」と強引に通り抜けていきました。
一瞬周囲は不穏な空気になり、ぶつかられた女性が「なによあの人。一言あけてっていえばいいじゃないの」と不快感をぶちまけていました。
その方に自分の前にいた女性が「ほんとにねぇ。でもみてあの人。あれ」
と、壮年の男性の鞄には赤字に白の十字がついた札、ヘルプマークがついていました。
「わかるわよ。それでもね」とぶつかられた女性は、ヘルプマークをつけて人だと理解しながらもいくらそうでもあっても許されないこともあると言うことを話していました。
自分はといえば、多少通路にかかっていたとはいえ、状況を見たら無理やり通り抜けていくところでもないとも、あの男性からすればそこは通路だったのだから自分は通っても許されると思ってるんだろうな…などとも考えていました。
買い物を終えてもしばらくもやもやしながら帰途につきました。
大学にはいったときから考えると二十数年を福祉業界で過ごし、いまは遠くない業界ではあるけれどすっかり現役からは離れた自分。何か言えることってあまりないかもしれない、よくある古巣に砂をかけるようなことはあまりしたくないなとかぐるぐると。深みにはまらない程度の低いレベルの意識の中で思考を巡らせていました。
障害に対する意識の差
フリースクールの先生になりたいと思って大学に入り、ややあって少し死生学のほうにはしったあと、混迷する不登校の研究ではなく新しいことをやらねばという思いから、3年次にゼミに入ってからちょうどブームになりつつあった「ひきこもり」の研究を始めていました。2000年前後のことです。
不登校児のフリースペースでボランティアをしながら、発達障害と不登校の関係をどうにか研究できないか悩みつつ、カウンセリングの手法と自閉スペクトラム症への療育の手法を学んで、その先にひきこもりがあるなら意味はあるだろうし、そのうちすべてつながってくるだろうと学びを進めていました。
ただ、当時はその考えも少数派でした。
なにより、まだ「不登校」が「登校拒否」から名前が変わろうとしてた過渡期。
「発達障害」という言葉もまだ身体的な成長の遅れや知的発達の遅れを指すイメージがある言葉でした。知的能力障害(ID: Intellectual Disability)と医学用語である精神遅滞(MR: Mental Retardation)は同じ意味を持ちますが、当時でいう広汎性発達障害もADHDもどちらかというと後者(MR)として思われることもしばしばあった覚えがあります。
自閉スペクトラムといえど、自閉症はもっと典型的な知的障害を伴うカナー型の自閉症をイメージする…というよりそれ以外は違うものとされるのが当たり前のようにありました。
最近ではあまり使わなくなってきた言葉の羅列になりますが、自閉症を含む高機能自閉症やアスペルガー障害、広汎性発達障害(PDD: Pervasive developmental disorder)などの診断を受けるためには、全国で概ね4ヶ所(北海道、神奈川、岡山、佐賀)にある病院に行かないといけない(もっとあったのかもしれませんが)と思われていました。
20年ほど前のことです。
現在ではすっかりそんなこともなくなりました。研究と教育が進んだ結果ですが、たまに信じられないと思うこともあります。
広がりと違和感
いまとなってはそういうことを知らないほうが少数派になったと思います。自分たちの使っていた言葉が罵倒語、差別語になる過程も経ました。
当事者の人も支援する人もどんどん増えてきて、当たり前でなかったことが当たり前にあるようになってきました。
支援する人される人、そのどちらものなかにも我が物顔の人も現れてきたころ、自分は身を守るというより自分の気持ちを守るために「自分は以前からやっていたからよく理解している」「自分は正しい」と意見したくなり、実際していた時期もあります。
そのうちにそれが自分の自信のなさの現れであることと理解し、恩師や同窓に申し訳ないと思うようになりました。しっかり勉強し、いいと思うことをやっていればそのうち報われると考えて日々勉強し現場でいかせるように精進していく中、常に違和感がつきまとい始めていました。
同じ会社の同僚、小学校や支援学校で見かける20代前半の支援者、子育てが一段落した保育士、再雇用の運転手。心理士やさまざまな専門職を始め、なんとなく子どものことがやりたいから入ってきた人、自分が救われたい人、人手不足だから入ってきた人etc...
放課後等デイサービス、児童発達等支援施設にはそんな働き手であふれてきて、かつてはなんでもなかったかも知れない、学校や家庭で困った子になった子供があふれるようになっていました。
有象無象の手法とそれの喧伝、妄信、諍い。そんなものも日常的にみるようになり、一体これはなんなのだろうと、いい仕事をしたと思っても勉強をしてきている一部の同僚にしか評価されない自分も相まって、だんだんうざったくみえたのも正直なところです。
広がるすそ野とその影響
3年ほど前、Covid-19に感染したのち後遺症で10mも歩けなくなるなど、ブレインフォグや頭痛やいろんな症状で休職のち退職したことをきっかけに、いったん子どもと発達や心理的に関することに関わることを一切やめることにしました。いまではそこそこ回復し、人ではなくものを扱う方面で仕事をするようになりました。そういいつつ現在は人に会うのですけど。1年ほどでそれなりの学びもあったので、完全に対人からは離れる予定です。
ある種の支援方法については折を見ながら少し勉強は続けていますが現場で使えるかどうかはわからず、どちらかというと自分の哲学のために活用するようになりました。
それをもったままみる世界に生きていることで、多少周囲になにかできたらと思っています。
いまメインで参加しているSNSのBluesky内でも、自分の関わってきたことやその周辺を課題にされた当事者の方や親御さんがいらっしゃるようです。
とくに自分で選んだわけではないのですが、結果的にそうであることをSNSの利用者層というものも加味して考えても、なかなかの割合な気がします。
そして、理解できるからこそ優しくいられている人ばかりだと思います。闘っていらっしゃる方もみますが、自分や人を守るためにも必要なことでしょう。
少なくともそれで罵倒する人はみませんし、見ないようにしています。当然いるのもわかっていますし、そこに向かっていってなにかできるのか…多分できないです。
人にはそれぞれ背景があり、そこに至る物語があり、何かしらの理由があり、主に自分を守っていると理解しています。その物語の捉え方、見え方を広げるお手伝いが生業のひとつでした。仕事でもないですし、自分のクライエントではないですし、そもそも面と向かっても難しいことを況んや文章だけでできるとは思いません。
何となくでも詳しくても、人それぞれの課題に対して理解をもって優しくいられること。たくさんの人がこれまで見えていなかったことを知るようになっていくことでそれができればいいのではないかと。
いい面そうでない面
冒頭の話に関して、自分はまだ答えが得られていません。正解はないのだろうと思ってもいます。
しかしながら今の世の中では正解を求めすぎるようになりました。それが20年前では問題でなかったことも問題になっているところもあるでしょう。本来支援が必要な事柄がしっかり見つかるようになったことでその逆も当然ありうることです。
ヘルプマークの普及はとてもいいことです。ただそれをなにかの免罪符にしようとする人もいることは確かです。その虚実は一見にはわかりません。
あの赤い札をつけている人は内部疾患かもしれないし、精神的な何かかも知れません。
それがスティグマになってしまうことは本来の意味を完全になくしてしまうことです。
理解は必要ですが、同時に偏見もセットになり得るものです。
冒頭の話
自分は悩んでしまって動けませんでした。
理解しつつ「障害のある人がやったことは仕方ないと思って」いうのも暴力的な話です。
「わかるけれども腹が立つ」というのが反応としては人間らしいのだろうとも思います。言葉がなければ理解なく怒る人にもなります。
それぞれの反応もそれぞれの背景がそこのあると思います。自分は元福祉の人間として悩んでいましたが、周囲の人がそれを見た目で判断することはできないです。
答えはでないことだと思いますし、その不確実なものがゆらぎとなり世のさまざまになっているのでしょう。
終わりに
久しぶりにとりとめもなく思ったことを書いてみました。
人にはそれぞれ課題があると思っています、それが目立つもの目立たないもの知られているもの知られていないもの。それらを二元論的にどうこういうこと、多分ずっと前ならやっていたかも知れないです。
いまはそこにあること、不確実なことは不確実でいいと思えるように、そう自分をもっていければいいとしています。
職業訓練校に入ったこと
毎日ヘロヘロになってやっと生きいてるとくです。
最近屋根付き原付ジャイロキャノピー で市内を走り回る日々を送るようになり疲労困憊です。
この記事は はんドンクラブアドベントカレンダー 14日目の記事としてお届けしたかったものになります。
はじめに
さて、冒頭で書いた毎日を送るようになったのは、9月末からフィールドエンジニアのようなものとして仕事を始めたからです。
これまで20年ほど福祉/心理の業界で仕事をしてきて(細切れで離れた時期もあるにせよ)、そのままずっと続けていくのだと思っていました。
しかし、昨年からコロナ後遺症を患ってから思うところがあり半年ほど学び直して現在の職にあります。
Twitterなどでよく流れていたライフハックとしての職業訓練がどうだったか書いていきたいと思います。
受験までの流れ
受験
入所
本訓練まで
本訓練開始後
授業について
実習について
就職活動
就職決定とその後
いかがだったでしょうか?
内容が決まっていたのに全く書けていません。年末までには書き上げるたくありますので。何卒ご容赦ください。
半島の東
前回
桜島のほう
佐多岬を出発したのは12時半ころ。
走り出したらあまり時間を気にしていない。食べるという気持ちもそう沸いてこない。
ただ、旅行支援のクーポンが2000円分ある。観光案内所では使えなかったのでこれを使いたい。
使えるお店を検索してざっとみても使いやすいのはやはり道の駅。
桜島と霧島に向かう予定を大幅に削るルートを考え、垂水市の道の駅を目指して走り始めた。
通ってきたルートを引き返し、西に鹿児島湾を見ながらひたすら北上する。
なんとなく室戸岬から西へ走ったときと似た雰囲気を感じた。街の感じも見た目もそんなに似ていないのに。
気持ちよく晴れてはいないけれど、直射日光を防ぐ程度の薄い雲が広がった空。
遠くに存在感にあふれた山が見え始めてもくもくと噴煙をあげている。
そこには大きな感慨もなく、そこに桜島があるという事実だけがあった。
概ねなんであってもそうなのだけど「そこにその事象がある」ということ以上の感覚がうまれてくることはあまりない。
「桜島を見た」という経験にある種すぐに満足してしまう。
霧島に行くルートを外したのはそのためだった。
山はある程度離れた場所から眺めるほうがいい。近づきすぎると見失ってしまう。
もう少し余裕のある計画を立てていれば霧島をみて、そこを走ることができていた。
また来れる日がくる。
そんなことを考えて走り、道の駅たるみず はまびらについた。
鹿児島とヨーグルッペ
一番気温が高くなる時間になっていた。夏の装備に切り替えたい気候。
各種物産が置いてある売り場を抜け、総菜を探す。
「鹿児島には薩摩揚げの自動販売機があるらしい」と乗船前に聞いた話を思い出したが自動販売機を探す時間はないので、すぐ食べれそうな袋入りの薩摩揚げとばくだんおにぎりを手に取る。
あと鹿児島といえばヨーグルッペ。
宮崎の会社らしいが鹿児島といえばパックのヨーグルッペなのだ。
ただ、ここは種子島じゃない。
場所は違っていても近くでロケットは発射されるし、遠野くんはまた同じので、澄田は今日はもう決める。

桜島を眺めながらお昼ご飯を食べる。お土産にゆるキャラ「たるたる」のご飯ダレを選んだ。残ったクーポンをアフォガートにして使いきる。
ライダーとわかる服装をした高齢の男性と壮年の男性が話しかけてきて少し話をした。聞くに高齢の方は82歳。矍鑠として全くその年齢にみえない。東京から来た息子と二人でツーリングをしているという。ハーレーに乗っていることを誇らしげに話していらした。
自分はいつまで乗っていられるだろうか。
都井岬へ
道の駅から少し北上し海潟緑地公園のあたりで停車。南東からみた桜島がよく見えた。

霧島市から志布志市経由で都井岬に行こうと思っていたが、いったん引き返して鹿屋市経由の方が早いとナビが騒ぐ。なんとか21時までには宿に着きたい。
鹿屋市を走っていると哨戒機「P-1」が空をぐるぐる飛んでいた。不思議な色をしている。
朝に見た景色を通り抜けて都井岬へ向かう峠道。
入り口で100円を支払い少し走ると山の上に馬が見えた。

早朝に船から眺めていた場所をバイクで走り見えない航路をみる。
灯台までついたが、すでに日は傾きかけていて入ることは叶わず。
昨年行った御前崎灯台も出雲日御碕灯台も入ることができず、今回の都井岬灯台もタイムアウト。やっぱりとうだいは狭き門なのですね。


宮崎名物南国プリン
予定していた堀切峠は東九州自動車道E78へ変化。宮崎市内へとひた走る。
平日の夕方ということもあり交通量も多くなっていた。
街が一気に大きくなり始めて宮崎市の規模に驚き、大学のころの友人やこれから会うフォロワーに申し訳ない気持ちになってきていた。鳥取市くらいを想像していた。
大学のころに宮崎市出身のHくんという友人がいた。あいうえお順で学籍番号が一つ前。入学式後のオリエンテーションで席が前後の関係で話すようになり、宮崎の方言で強調に使う「てげ」という単語を教えてくれたのがとても印象に残っていた。
以降、宮崎といえば「てげ」
日もすっかり落ちた繁華街の一角に南国プリンはあった。
店のすぐ前にバイクを停めて、カウンターの向こうに懐かしい顔をみた。
14年とか15年とか多分それくらいのつき合いになる。インターネットの友人としてはそれなりに長い。彼が宮崎に戻ってから10年近く会ってなかったはず。
事前に連絡はしていたので話は早かった。ただお互い久しぶりすぎてどんな話し方をすればいいかわからず。ともかく家に帰り着いてから食べるプリンとこれから食べるプリンをお願いした。
看板商品のスカイブルーのゼリーが入った「南国プリン」より「テゲセボン」という名前の印象が強い。
"Tege C’est bon"
とてもいい名前だ。だが食べたのは季節限定の生いちごプリン。
とてもおいしいやつは帰り着いてから食べる。今は何でもおいしい。
店の二階でおいしくいただき、とても短い再会を惜しむ。

繁華街のど真ん中にバイクを停めたため、街ゆく人がナンシーさんになる。
おじさんも若い人も、海外からいらしてるだろう英語圏の人も。
- ナンシーA「これはなんcc?」とく「400ですね」ナA「おっきいね」
- ナンシーB「これはジクサーの大きいやつ?」とく「ジクサーではないですねー」
- ナンシー外国人「これはなんだ?(英語)」ナンシー外国人友人日本人「これはグラディウスだ(英語)」ナ外「メーカーはどこだ(En)」ナ外友「スズキ(エンブレムを指さしながら)」とく「(なんでこの人このマイナー車を知ってる?というか自分が答えるんかい)」
宿の夜と朝
盛りだくさんにしていた予定が終わった。あとは日向市の細島というところまで走るだけ。日はすっかり落ちている。
昼間なら多分とても気持ちいい道だろう。線路沿いで向こうは海のはず。
ただ暗い。疲れに合わせて真っ暗な道を走るのはとても神経を使う。
再び10号線。コンビニでおにぎりとからあげ君を買い細島方面へ。
漁港にたどり着いて宿を探すがよくわからない。とりあえず灯台があるから行ってみる。
真っ暗の先に灯台があり遥か向こうに光を飛ばしているのをみた。
引き返して地図を見ながらなんとか到着。
予約したときからわかっていたが独特の雰囲気を持ったいわゆる民泊。
いまは一晩休めればいい。
簡単な説明を受け、荷物を整理して腹ごしらえをしてすぐにシャワーを浴びる。
すぐにベッドに横になってみたがさっきまで張りつめていたものが全く解けず。
疲れているのに頭がキンキンに冴えている。夜が明けてすぐに出発するつもりが全く寝つける様子がない。
何故か枕があたったところが痒い。部屋に充満した独特のにおい。謎のかゆみが起こる枕を端にやり、水に濡らしたタオルで冷やしながら浅い眠りへ。
2時間も寝てないうちに蚊に刺され、その羽音で寝つけなくなる。
うとうとしながらとにかく体だけは休める。
一日が終わったような終わってないような感じのまま朝を迎えた。
まずは前日の走行で緩んだネジを締めるため六角棒レンチを買いに行かねばならない。幸い九州には24時間営業のホームセンター(?)トライアルがあるのを覚えていた。
とても便利なお店らしい。
1日目走行距離およそ450km。
九州へ端を求めて走りに行く
旅に出る理由が100個くらいあるとは云えないが、ひとつ理由を聞かれたら「端っこ」と答えている。
自分の記憶の特性が映像が主になっていて、それを文字に起こすのは少々骨が折れる。書いている自分を映像で動かしリズムに乗ってる間に進めていこうと思う。
九州に行こうと思う
人生でいろいろあって少し時間がとれたのでこの時期にバイクで行くなら九州。行くなら端っこまで。そうすると佐多岬しか思い浮かばなかった。
アニメ「スーパーカブ」最終回で佐多岬まで行ったことにそれなりの影響を受けて下道をぼちぼちとキャンプでもしながら目指すことも考えたのだけど、所々の事情で体力が問題になりそうなのでやめておいた。
そうなったら選択肢はそう多くなく、関西からフェリーで門司、大分、宮崎、鹿児島まで一晩。帰りくらいは走って帰ってくればいい。
しばらく逡巡した結果、帰りもフェリーに乗ることにして、その迷っている間に帰りのフェリーは予定していた次の日のチケットになった。
4月26日に出発して5月1日に帰り着く。
九州へ
4月26日午後、大阪。
午前中にパッキングを終えて時間も余ったので早めにフェリー乗り場へ。15時到着。
受け付けは15時半からだったが、すでに並び始めていたので自分もその列に加わった。
鹿児島行きは旅行支援が使えるというアナウンスがあった。用件を満たしていたしワクチン接種証明もアプリで手元にあり流れの中で手続きを行った。

予算より結構安くなり、浮いたお金であとで船に乗り込んでからカプセルホテル状態から一人部屋に部屋のグレードをあげた。
手続きをやっている間にもう降らないと思っていた雨が少し降ってきたらしく、灰色の短髪、革ジャンと白いTシャツにデニム姿をしたハーレーダビッドソンの申し子のような壮年男性が「雨やわ。自分、ヘルメット持ってきてて正解や」と話しかけてくれた。
搭乗手続きを済ませてややしてからバイクの待機しているところへ向かうと、先ほどのハーレーの男性が、また別のハーレーの男性と話をしていた。その隣にバイクを停めていたので船旅前の偶然の会話メンバーに自分も参加することになった。前述の男性はちゃきちゃきの大阪の男性、もう一人は横浜から来られていて自分より少し上の年齢に感じた。
旅の予定やおいしいもの情報を交換しつつ搭乗時間まで過ごしていた。
その間に集まったのバイクは概ね10台。世はまだ連休に入っていないながら、そこに向かう勢いを感じる程度の人数だった。
フェリーに乗り込み、部屋を移る手続きをしている間に出港していて、旅に出る感慨にふける時間ももたないまま船内に流れ続ける「さんふらわあの唄」に脳をやられていた。
夕食を軽く済ませるつもりでいたら唄にやられてバイキングを選んでしまっていた。
もりもり食べて風呂に入ったが、興奮もあってなかなか寝つけずに2時間程度の睡眠を2回する程度になってしまった。
朝は軽くあんパンとコーヒーで済ませ、デッキから都井岬を眺めてから荷物をまとめて下船が始まるのを待った。
再び乗船前の二人と会い、またとりとめのない話をしていると時間はあまり長く感じなかった。思っていた時間より30分以上遅い下船になるようで、桜島のフェリーに乗る予定をしていたという横浜のハーレー兄さんは少し焦っている様子だった。

上陸
バイクの並びの各々が黙々と鞄をシートに固定している。トラックが降りていく。ほぼ全員が待機状態になった頃ゴーサインが出された。
薄暗い船内から明るい外に駆け降りる。盛り上がる瞬間。盛り上げたい。
頭の中では盛り上がられない曲が流れる。
消そうと思うから消えない。消そうと思わなくても消えない。
少しバイクを停めて、早速向かう目的地までのルートを確認。
一足先に降りたハーレーのおっちゃんが停車している横を手で会釈して、薄曇りの志布志を走り始めた。
長距離を走る前に少し燃料をつぎ足しておこうとガソリンスタンドを探していると横浜のハーレーお兄さんが給油を終えて走り出すところで、お互い手を振りあって旅の無事を祈った。
自分も給油をするために寄ったガソリンスタンドで店員のおじさんとどこから来てどこに行くのかという定型文みたいなやり取りをして旅が本格的に始まった。
佐多岬まで
少し時間が遅くなったことで盛りだくさんで考えていたいくつもの目的地を削り、おおまかな走行ルートを決めて走り始めた。
気温は初夏のまだ暑くない過ごしやすさを発揮していて、心配していた寒さは微塵もないツーリングに最適な気候。
少しずつ晴れていく空にやや興奮しながら448号線をひたすら海沿いに南下していた。まずはJAXA 内之浦宇宙空間観測所を目指す。
少し田舎道を走ると海沿いを駆け上がり走り抜けるうねった道。
走っている左側、東に見える海は果てしなく、空はいよいよ青くなってきていた。
サイドバックもシートバックも詰め込んで走るのは初めてだったので少し様子をみながら峠道を走り、内之浦海岸に至る頃には荷物を満載して走ってることが気にならなくなっていた。
海岸も海も輝いていて、その景色を目で捕らえて空気を感じることに必死だった。
内之浦海岸を抜けると、橋の欄干に人工衛星の形が乗っているのがわかった。それぞれの橋で違うモデルが乗っていて写真に収めるか少し迷った。道も楽しく何度も止まるのもためらったので、記憶に留めながら坂を駆け上がった。
宙の家という場所で止まり、置いてあった「はやぶさ」の模型はしっかり眺めて、ほどなく内之浦宇宙空間観測所前。

資料館を見学したかったが、時間がないのでアンテナなどをみながら「ここには来た」と自分に刻みつけて再び走り始めた。
県道74号に入るかそのまま448号経由して肝属グリーンロードにはいるかぼんやり考えていたら、岸良あたりで左折しないで進んでしまい危うく峠道に向かいそうになった。
そういうこともあって、海沿いの峠道で精神を削るよりも肝属グリーンロードも楽しく走ることに決めた。なにより安心安全が大事。
山の中を突っ切る448号をジェットコースターのように楽しんで、少しずつ人家が増え始め、そろそろ広域農道に入る…と考えていたらいつの間にか海沿いになっていた。
ナビはもちろん使っていたけれど、音声のみだとこういうことは個人的にはあるあるで、曲がるところを間違えてしまうとそのまま修正されて予定と違ったルートになる。
肝属グリーンロードをしらないまま、根占の海沿い。
海の向こうに定冠詞のつくような山が見えつづけ、あれが桜島ではないだろうが脳内には名前が浮かんでこない。記憶の片隅に引っかかるものはあるけれど、無理に引っ張り出してくることはせず。
ずっとパトカーが前にいるので巡航速度が制限速度より少し遅い。むしろ志布志についてから運転しているのが高齢の方が多いためか制限速度をきっちり守っていることが多い。これはのちに大分に至るまでそんな印象があった。関西とは違う。
町の名前に佐田という文字が見え始め、いよいよ目的地が近くなってきた。
空はきれいに晴れていて、暑いか暑くないか程度。
峠道にはいる。海岸沿いにでる。海が蒼い。
再び登りになる。
碑が見えた。
到着。
佐多岬
見た覚えのある青いバイクが停まっていて、写真を撮っている人がいた。
写真を撮るのに邪魔のならない程度に避けてしばらく撮影が終わるのを待っていた。
撮り終わりこちらを見て「写真撮りますか?」と声をかけられバイクを移動させる。
「同じフェリーでしたよね」などと少し話をし、バイクと碑を写真に撮っていると
「撮りましょうか?」と。
これ以降の旅路では撮ることはなかった自分とバイクが写った記念写真を残すことができた。

観光案内所に進み最南端到達証明書を手に入れ、かじゅまる木を背中に海と空をしばらく眺めていた。
「展望台までいくと時間かかるし、結構しんどいよ。その後を考えたらあまりおすすめできないかも」と桜島に向かったハーレー兄さんに聞き、その話に頷きながらせっかく行くんだし見てから決めようと思っていた。
迷わず「無理はしないほうがいいな」とすぐに決めることができた。
まだこれから桜島を見て、九州東側をひたすら北上する予定なのだ。
一番の目的地は佐多岬だけど、なにより無事に帰り着くことが大事。
どこかに行くというよりどこかに行くという口実でその地を走りたい、ただそれだけ。この旅の道中で何度も思ったし、多分この先どこかにいくことがあっても多分同じことを思うだろう。

つづき
ベストバイ 2022
はじめに
アドベントカレンダーなどに登録してやろうと思っていた2022年のベストバイ。
体調的な問題からどこにもぶら下がることなかったので書けないと思っていたら、それとなく余裕ができたので思いつくまま書いていこうかと思います。
キッチン関係
アクリル浄水ポット(無印良品)
我が家はいわゆるジュース類もあまり飲まず自分がコーヒーを淹れる以外は基本的に水か野菜ジュースしか消費しません。もったいないなぁと思いながらもペットボトルの水を買っていたのですが、以前Lahanさんの家で使っていたこれを思い出して今年導入しました。
結果的に活躍度としてはナンバーワン。飲み物は基本的にここから飲む水になりました。コーヒーを淹れるときにもここからコーヒーメーカーにいれます。
惜しむらくは構造上、容量が1.1Lとそんなに多くないというところです。解決策として毎回いれたら足すという方法を取っています。
スコッティファイン 洗って使えるペーパータオル
洗ったり干したりが面倒だから布巾をあまり使いたくないと思い、何かを読んで導入したこれが大当たり。汎用万能リネン類として大活躍しています。
結構雑にガシガシ使っていますが破れることもあまりなく、最後は雑巾みたいに使ってぽいっとできます。大抵は食器拭きなどに使ったものが次にその辺を拭くものになり、床などをざっと拭くようなものになり…常に2枚位が台所にあります。年間で3ロール使うか程度だったのでコスパもよかったです。
CERAMUG
CERAMUG ボトル 300mlkyocera-kitchen.com
この7月に新型コロナになり後遺症でつらいのですが、とにかく散歩には出続けるようにしています。休憩として喫茶店やスタバを利用することが多く、テイクアウトすると紙コップでは特に冬場は早くに冷めてしまう。また家で淹れたコーヒーを持ち歩いてるほうがいいなと思い水筒の導入を検討していました。
色々調べ、以前たひさんのベストバイで読んで欲しくなり、使い始めたSTTOKEのセラミックマグがとてもよかったので、中がセラミックの水筒を探してたどり着きました。
保温力はそれなりにいいことと、なにより金属臭がないのがいいです。あと中ににおいがつきにくいことや分解して洗いやすいこともとてもいいですね。
ただ、どうしても素材的にパッキンにはにおいがついてしまいコーヒーを入れるともうコーヒー専用にするしかないんじゃないかと思います。
ついでにSTTOKEもおすすめです。自分の持っているのはちょっとこぼれやすい旧式の呑み口のものですが、新しいものはこぼれにくく持ち歩きもしやすいようです。保冷保温能力が抜群にいいので、コーヒー好きは是非。
家電製品
popIn Aladdin
もうずいぶん長い間機器としてもTVというものから縁遠い暮らしをしていたのですが、引っ越しにあたりPC以外の映像機器として満場一致での導入となりました。
おもにYoutubeやdアニメストアをみるのに使っています。繋いでSwitchのリングフィットをしたり(一時お休み中)、PS4で遊ぶこともたまにあったりなかったり。
一年近く使いっているとファンの音がおかしくなって修理を検討したけれど、初期化を行ってよくなりました。また症状がでたり安定しないこともありますが、しばらくは大丈夫でしょう。多分。しらんけど。
MOCCAMASTER KBGC741AO
コーヒーメーカです。買ったのは去年の暮れなのですが使ったのは今年からなので。
「ハンドドリップもいいけれどあんまり上手に淹れられないから普段はコーヒーメーカーを使いたい」という思いがあり色々見て回っていたのですが、たまたま近所の家電量販店で展示品が廉価で売られており「詳しくはわからないけれどなんかいいやつ」と即購入。2万円弱。定価が6万弱なのでかなり安価で買えました。
構造としては驚くほどシンプルです。湯を沸かして注ぐだけ。数多あるコーヒーメーカ全部そうですけども。
これでいれると美味しいんです。なんでかわからないけれど。上手に淹れられるようになりたいんですがこれには追いつけません。
あとは見た目がすごくいい。あるのは電源と保温の2つのシーソースイッチのみで余計なものがないシンプルさが大好きです。

健康など
コンクールF
歯周病を含む口臭が気になって、マウスウォッシュをいくつか試してみたのですがどうにも合わなかったり、どれもこれも高い。
確か歯科医院などで使っているようだぞと思い導入。
寝る前に20mlほどの水に10滴ほどいれてうがいしてます。よく歯茎を腫らすようなことがあったのが今年は一度もなくなりました。起きたときのネバネバ感がほぼなくなり、使えないと次の日の朝が辛いと思う様になったほどです。
Amazonなどでは扱っているけれど定価より高いので近所の化粧品店で買ってます。一度に使う量がかなり少ないので1本(1100円)でほぼ1年近く持ちました(自分しか使わないので)
眼鏡
身につけるものでのベストは眼鏡です。
年々乱視がひどくなってきていて困ってきていて今年になり某Jのつくメガネチェーン店で作ってつけ始めました。しかし、どうにも気持ち悪くなったり頭が痛くなりで長時間つけることができず放置気味になっていました。
「それなりの技師がいる眼鏡屋で作ったほうがいいのでは…」と悩んだままきっかけを失ってそのまま裸眼で過ごす日々が続いていました。秋頃パートナーも眼鏡を作り変えることになりせっかくだから一緒につくる話になり「長年使うものだからお金をかけてもいいと思う」ということで、何かあっても対応してもらいやすい距離にあり、安心できるお店を選びました。
様々な検査をして技師さんと打ち合わせて特にプリズムをいれることでだいぶ見え方が楽になりました。年齢的に目は悪くなっていく一方なのでしっかりとアフターケアを含めて技師の方にお願いするのは大事だと身にしみてわかりました。
フレーム選びは楽しく、自分があまり一般的ではないものを選ぶので、お店の人も楽しそうにニッコニコで丸と四角眼鏡を候補にあげてこられたり(成田悠輔という学者の方がつけてらして有名だそうですね)色々楽しく選べました。そのなかでこれが気に入って選んだのがこちら。
MASAHIROMARUYAMA - マサヒロマルヤマ公式サイト

慣れるまでは斜面がすごく傾いて見えたり、テーブルの上のものが斜めにみえて気持ち悪かったりしたのですが次第に慣れていきました。体調が悪くなることもなくつけ続けることができ、毎日つけるようになりほんとに買ってよかったです。
費用は8万と少し。フレームとレンズの価格になります。それでアフターケアを含めたものになっているので十分満足できるものになりました。
おわりに
昨年の暮れに引っ越し今年はじめに色々と買い替えた中、今年の後半になってから買ったものも結構ありますね。印象に残っているからかもしれませんが。
今年の前半はバイク用品もそれなりに買っていたからかもしれません。それについてはまた別途旅の記録で書きたいと考えています。
以上2022年のベストバイでした。
手ガリと塩タブレット
これははんドンクラブ Advent Calendar 2022の12月14日の記事になります。
2022年はほんとうにいろいろとありましたが、なんといってもゆるキャン△の映画が公開されましたね。いろんな層にゆるキャン△が届いているのがわかりファンとしてとても嬉しかったです。
早くもAmazonPrimeで視聴できるようになっていることですし今更ネタバレもないと思って書き始めます。見たことがあると楽しめますし未視聴の方でも楽しめる内容だと思います。
ゆるキャン△映画版について
まずは映画版に関してはアニメ版ゆるキャンの独自路線というか二次創作のような流れの作品だと思っています。
細かい事抜きにすると「あれだけ地元でわちゃわちゃするのに千明が後輩2人(13巻から登場)を完全に無視してなにかするわけない」以上!閉廷!解散!
遺跡発掘!
さて、映画版ゆるキャンのストーリの中で一番のキーポイントととなったキャンプ場予定地での遺跡発見。調査のためにキャンプ場の建設がとまってしまっただけではなく、キャンプ場自体も中止になりかけた一番の話の転がり部分でした。
実は私…遺跡発掘やったことあるんです
人生で生きていくためにやって仕事のうちのひとつに遺跡発掘調査があります。「遺跡発掘してたことあるんですよ」などというと大抵の人から「は?」という反応があります。興味をもって質問される…ということもなく大抵は「変わったことをしたんだね」ていどになります。そんなもんです。
実際にやっていた期間はそんなに長くないのですが、2か所で発掘に関わっていました。
映画を見ながらそのことを思い出したので、この機会に簡単ですが書いていこうかと思います。
遺跡を発掘しよう
遺跡発掘にどうやったら参加できるか疑問に思う人も多いでしょう。
私の場合は無料の求人誌を眺めてたら載っていたので応募してすぐ参加することになりました。
面接などもありましたが「免許持ってるか?そしたら来月から新しい現場始まるから5時半に駅にきて」くらいの話で終わりました。あくまで自分のケースなので注意してください。
現場に出てから知っていったのですが、発掘に関わるのは大きく分けて3つの組織です。
- 遺跡のある市町村教育委員会の方(とてもえらい)
- 1から仕事を受けた元請け会社(えらい)
- 2から仕事を受けた下請け会社(つらい)
現場に採用されるとほぼ3の人になります。現場であらゆることをします。
「つらい」と書きましたが、端的に言うと土木の現場作業員なので体力がほぼ9割の仕事になります。そこそこのヒエラルキーの中で怒号と汗と泥に塗れながら頑張っていきます。
このヒエラルキーに属さない人もたまにいます。立場としては3の人になるのですが、ほぼフリーランスで発掘に携わってこの道何十年というベテランがいらっしゃいます。人によっては1から2にかけての発言力ないし、そういう立場だったりするので迂闊なことをすると2の人も怒られたりしていました。こういう方は2の会社の指示の下で重要な現場から現場へいっては要の作業に携わっていらっしゃるようでした。
ゆるキャン映画内でみんなが発掘作業を手伝っていましたが。1の人にお願いしてボランティアみたいなかたちだったんでしょうかね。元請けや下請けの作業員からしたら「なんだこの子達は…?」と思われたのかもしれません。
当たり前だけど契約とか賃金のこととかね。色々あるから!
作業の流れ…その前に
いざ「遺跡を発掘するぞ」と意気込んで現場についてもいきなりあの遺跡の形に開いた穴があるわけでもないので掘っていかなくてはいけません。
場合によっては現場の草刈りからです。自分たちがそうでした。草刈りと言うか…生えているものをきれいにしてしまう作業。あとは現場の周囲をフェンスで囲うことからでした。
範囲はちょっとした*1小学校のグランド1面分ほど。ノコギリで木を切ったり、草刈り機でひたすら草を刈っては集めて処理。その作業の合間にフェンスを立てていきました。
映画の中でフェンスは立てていませんが、木を切ったり草を刈ったりは彼女たちがやっていた作業ですね。地味ですが大事な作業です。
ちなみに私は山村生まれで家の手伝いやなんかで草刈機などこういった作業は手伝っていたので自然に身についていました。
私が関わったときがちょっと特殊な事情があり、私とイタリア人(50代)とフィンランド人(20代)*2の3人チームで作業の殆どをやりました。イタリア人のEはイタリア語と少しの英語、フィンランド人のAは英語と日本語、そして私が日本語と少しの英語。言葉も文化的背景も全く違う3人での作業はなかなかな珍道中(?)になりましたが、それはまた別のお話です。閑話休題
この作業に2週間弱かかりました。このあとにプレハブ小屋の休憩室を立てたりして発掘の作業が始まります。
発掘らしい作業の開始
大まかな流れ
作業の流れは三重県埋蔵文化財センター から引用しますとこんな感じです。

とてもわかりやすい図で説明の手間が省けていいですね。
この図の①にあるように大まかにはパワーショベルでざっくり掘っていきます。
前項3の会社の親方が掘っていき、作業員がそのあとの②と③の作業をひたすらやっていきます。②番の作業が発掘作業のイメージとしてあるかと思います。
道具について
図をもう一つ

この図の上の真ん中と下の真ん中にある道具を主に使います。
大きな作業では主に「スコップ」「ジョレン」土を「てみ」に乗せて処理。
三角ホーとありますが、下にある手ガリと対比で「ガリ」と呼ばれてた気がします。
細かくなっていくと下にある「手ガリ」ここでは移植ゴテと書いてある「手スコ」あとは「手バチ」が使用する道具のほぼ全てです。
掘るのではなく削る
実際に遺構を探していくのですが、大まかな当たりをつけたあとはそれを探すために掘っていくのではなく、土の部分を「削って」いきます。
スコップはこの図では先が丸いものですが、私のいた現場では「角スコ」といって四角いスコップを主に使っていました。それを使い水をまいて粘土状になった土を地面を大体5mmずつ削る技術を身に着けていくことになりました。遺構を掘るときや水はけ用に溝をつくるときはもうちょっと大きく削ることもありましたが、基本的には少しずつ削っていきます。腰を使って柄を押して削っていくのは慣れるまでかなり大変でした。
この作業の間に男女共何人か新しく来ては次の日からみなくなっていました。発掘を開始したのが残暑厳しい9月ということもあり完全に力仕事の土木作業。現場猫案件もありましたし*3。私自身も熱中症で倒れたこともあります*4。スポドリと塩タブレットを毎日大量に消費しても防げませんでした。お茶しか飲まない人に渡すこともあり毎日塩タブレットはすごい勢いで減っていきました。
ざっくりとした場所以外は手がりや手スコを使って作業していきます。
詳しくは以下のリンク先を参照していただきたいのですが
粘土状の土を大体1mmずつ削っていく作業。これがとても難しい。

どこに土の色がかわるかわからない地面を皮を剥くように削り続ける。大事な出土物や遺構を壊さないようにひたすら薄く、刃を立ててしまうことのないよう、毛羽立つこともないように。
現場の人々
前述したフリーランスのようなベテランの方はガリかけになると参加して来られます。マイ手ガリを何本も持って来られる人もいました。同じように見えてやっぱり刃物になるのでいいものはいいんです。貸してもらうと違いがよくわかりました。
教育委員会の先生も大まかにやっている段階ではいつもいることはなかったのですが、本格的なガリかけになると一緒に作業をして遺構の検出の判断や出土物の回収をされます。ベテランの作業員の方も一緒に判断されたりしていました。「先生」と呼ばれて現場でなにか気がついたらその作業最優先。
元請けの方は一緒に作業をしながら、写真撮影や測量などを軸足とした動きをしていました。
ガリかけ以外の大変な作業
発掘作業以外にも作業中の現場の保全というのにもかなり気を使います。
ガリかけしたあとは安易に踏んではいけないなど、キレイに削った表面には最善の注意を払います。乾きすぎてもいけないし雨に濡れて台無しにならないように一日の作業が終わったら保護シートを被せていきます。これがまた大変で小さい遺構ならシートを一枚かぶせていけますが、25mプール大の遺構となるとシートを何枚も使い雨水が入りこないようにまた端が崩れないようにとても気を遣っていかねばらなず、10人くらいでも30分かかることがありました。小雨なら作業しますが、雨が強いと作業を中止、シート掛けに追われます。台風なんか来たときには現場がどうなるか戦々恐々です。
出土物が出た
遺構を削り出していくのも大事な作業ですが、出土物がでるとテンションが上がります。ただこのへんはベテランの方や先生に任せる事が多かったです。
手ガリや手スコの技術がある程度身についていても、遺構をキレイに出したり出土物を欠けなく掘り出すのは難しいです。手ガリをしていくなかで小さい破片を掘り出すことはよくありましたが、土と同化しかけたものを削ってしまうこともありました。
記録していく
遺構がきれいに出るとその周りを白く塗ります。遺跡のニュースなどで柱のあとの穴の縁を白く塗ったものをみたことあると思います。あれもベテランの方がよく塗っていました。そのあとには写真撮影です。
大きな遺構になると高いところから撮影しなければ全景が撮れません。いまならドローンで撮れるんでしょうか。
図2の右のほうに櫓がありますがこれを組んでいくのも仕事です。現場によっては高所作業車を持ってきてらくらくと上からの撮影ができるらしいのですが基本は櫓の上からになるようです。
地面の下で土を削っていたのかと思ったらハーネスをつけて単管を組んで6~7mの場所で高所作業することになるとは思いませんでした。高所恐怖症なので尚更です。
先生が「反対側から撮りたい」といえばバラして運んでまた組んで、もう一度「あっちから」というとバラして運んで組み上げて…大変でした。
発掘調査に関わってみて
一度はやってみたい?
なんかよくわからないけれど一度はやってみたいと思う遺跡発掘のあまり紹介されにくいところを触れてみました。慣れないと本当に大変ですがガリかけをやっていき遺構がわかってくるととても充実感がありました。
またここに書いた作業の大半が半年ほどかけて行われた大きめの現場の印象で書かれています。少人数で1週間ほどで作業した4m×2mほどの遺跡発掘は和やかなものでした。
ゆるキャン△映画内で行われた作業もきっと穏やかな感じだったんでしょう。それでも人手が必要なのはガリかけ。みんなでガリガリとやってたんでしょうね。
あれは本当に難しく奥が深い。
機会があればどこかでやってみたくあります。小規模な遺跡で。