日々、これ口実

自分の感じたこと、思ったこと、ただの雑記

職業訓練校に入ったこと

毎日ヘロヘロになってやっと生きいてるとくです。

最近屋根付き原付ジャイロキャノピー で市内を走り回る日々を送るようになり疲労困憊です。

 

この記事は はんドンクラブアドベントカレンダー 14日目の記事としてお届けしたかったものになります。

 

はじめに

さて、冒頭で書いた毎日を送るようになったのは、9月末からフィールドエンジニアのようなものとして仕事を始めたからです。

これまで20年ほど福祉/心理の業界で仕事をしてきて(細切れで離れた時期もあるにせよ)、そのままずっと続けていくのだと思っていました。

しかし、昨年からコロナ後遺症を患ってから思うところがあり半年ほど学び直して現在の職にあります。

Twitterなどでよく流れていたライフハックとしての職業訓練がどうだったか書いていきたいと思います。

 

受験までの流れ

 

受験

 

入所

 

本訓練まで

 

本訓練開始後

 

授業について

 

実習について

 

 

就職活動

 

就職決定とその後

 

 

いかがだったでしょうか?

内容が決まっていたのに全く書けていません。年末までには書き上げるたくありますので。何卒ご容赦ください。

 

 

 

 

半島の東

 

前回

桜島のほう

佐多岬を出発したのは12時半ころ。

走り出したらあまり時間を気にしていない。食べるという気持ちもそう沸いてこない。

ただ、旅行支援のクーポンが2000円分ある。観光案内所では使えなかったのでこれを使いたい。

使えるお店を検索してざっとみても使いやすいのはやはり道の駅。

桜島と霧島に向かう予定を大幅に削るルートを考え、垂水市の道の駅を目指して走り始めた。

通ってきたルートを引き返し、西に鹿児島湾を見ながらひたすら北上する。

なんとなく室戸岬から西へ走ったときと似た雰囲気を感じた。街の感じも見た目もそんなに似ていないのに。

気持ちよく晴れてはいないけれど、直射日光を防ぐ程度の薄い雲が広がった空。

遠くに存在感にあふれた山が見え始めてもくもくと噴煙をあげている。

そこには大きな感慨もなく、そこに桜島があるという事実だけがあった。

概ねなんであってもそうなのだけど「そこにその事象がある」ということ以上の感覚がうまれてくることはあまりない。

桜島を見た」という経験にある種すぐに満足してしまう。

霧島に行くルートを外したのはそのためだった。

山はある程度離れた場所から眺めるほうがいい。近づきすぎると見失ってしまう。

もう少し余裕のある計画を立てていれば霧島をみて、そこを走ることができていた。

また来れる日がくる。

そんなことを考えて走り、道の駅たるみず はまびらについた。

鹿児島とヨーグルッペ

一番気温が高くなる時間になっていた。夏の装備に切り替えたい気候。

各種物産が置いてある売り場を抜け、総菜を探す。

「鹿児島には薩摩揚げ自動販売機があるらしい」と乗船前に聞いた話を思い出したが自動販売機を探す時間はないので、すぐ食べれそうな袋入りの薩摩揚げとばくだんおにぎりを手に取る。

あと鹿児島といえばヨーグルッペ。

宮崎の会社らしいが鹿児島といえばパックのヨーグルッペなのだ。

ただ、ここは種子島じゃない。

場所は違っていても近くでロケットは発射されるし、遠野くんはまた同じので、澄田は今日はもう決める。

桜島を眺めながらお昼ご飯を食べる。お土産にゆるキャラ「たるたる」のご飯ダレを選んだ。残ったクーポンをアフォガートにして使いきる。

ライダーとわかる服装をした高齢の男性と壮年の男性が話しかけてきて少し話をした。聞くに高齢の方は82歳。矍鑠として全くその年齢にみえない。東京から来た息子と二人でツーリングをしているという。ハーレーに乗っていることを誇らしげに話していらした。

自分はいつまで乗っていられるだろうか。

都井岬

道の駅から少し北上し海潟緑地公園のあたりで停車。南東からみた桜島がよく見えた。

霧島市から志布志市経由で都井岬に行こうと思っていたが、いったん引き返して鹿屋市経由の方が早いとナビが騒ぐ。なんとか21時までには宿に着きたい。

少し引き返し、国道220号を東へ。鹿児島湾から志布志湾へ。

鹿屋市を走っていると哨戒機「P-1」が空をぐるぐる飛んでいた。不思議な色をしている。

朝に見た景色を通り抜けて都井岬へ向かう峠道。

入り口で100円を支払い少し走ると山の上に馬が見えた。

早朝に船から眺めていた場所をバイクで走り見えない航路をみる。

灯台までついたが、すでに日は傾きかけていて入ることは叶わず。

昨年行った御前崎灯台も出雲日御碕灯台も入ることができず、今回の都井岬灯台タイムアウト。やっぱりとうだいは狭き門なのですね。

宮崎名物南国プリン 

*1

予定していた堀切峠東九州自動車道E78へ変化。宮崎市内へとひた走る。

平日の夕方ということもあり交通量も多くなっていた。

街が一気に大きくなり始めて宮崎市の規模に驚き、大学のころの友人やこれから会うフォロワーに申し訳ない気持ちになってきていた。鳥取市くらいを想像していた。

大学のころに宮崎市出身のHくんという友人がいた。あいうえお順で学籍番号が一つ前。入学式後のオリエンテーションで席が前後の関係で話すようになり、宮崎の方言で強調に使う「てげ」という単語を教えてくれたのがとても印象に残っていた。

以降、宮崎といえば「てげ」

日もすっかり落ちた繁華街の一角に南国プリンはあった。

店のすぐ前にバイクを停めて、カウンターの向こうに懐かしい顔をみた。

14年とか15年とか多分それくらいのつき合いになる。インターネットの友人としてはそれなりに長い。彼が宮崎に戻ってから10年近く会ってなかったはず。

事前に連絡はしていたので話は早かった。ただお互い久しぶりすぎてどんな話し方をすればいいかわからず。ともかく家に帰り着いてから食べるプリンとこれから食べるプリンをお願いした。

看板商品のスカイブルーのゼリーが入った「南国プリン」より「テゲセボン」という名前の印象が強い。

"Tege C’est bon"

とてもいい名前だ。だが食べたのは季節限定の生いちごプリン。

とてもおいしいやつは帰り着いてから食べる。今は何でもおいしい。

店の二階でおいしくいただき、とても短い再会を惜しむ。

繁華街のど真ん中にバイクを停めたため、街ゆく人がナンシーさんになる。

おじさんも若い人も、海外からいらしてるだろう英語圏の人も。

  • ナンシーA「これはなんcc?」とく「400ですね」ナA「おっきいね」
  • ナンシーB「これはジクサーの大きいやつ?」とく「ジクサーではないですねー」
  • ナンシー外国人「これはなんだ?(英語)」ナンシー外国人友人日本人「これはグラディウスだ(英語)」ナ外「メーカーはどこだ(En)」ナ外友「スズキ(エンブレムを指さしながら)」とく「(なんでこの人このマイナー車を知ってる?というか自分が答えるんかい)」

宿の夜と朝

盛りだくさんにしていた予定が終わった。あとは日向市の細島というところまで走るだけ。日はすっかり落ちている。

国道10号を北へ北へ。途中から県道302号高鍋美々津線。

昼間なら多分とても気持ちいい道だろう。線路沿いで向こうは海のはず。

ただ暗い。疲れに合わせて真っ暗な道を走るのはとても神経を使う。

再び10号線。コンビニでおにぎりとからあげ君を買い細島方面へ。

漁港にたどり着いて宿を探すがよくわからない。とりあえず灯台があるから行ってみる。

真っ暗の先に灯台があり遥か向こうに光を飛ばしているのをみた。

引き返して地図を見ながらなんとか到着。

予約したときからわかっていたが独特の雰囲気を持ったいわゆる民泊。

いまは一晩休めればいい。

簡単な説明を受け、荷物を整理して腹ごしらえをしてすぐにシャワーを浴びる。

すぐにベッドに横になってみたがさっきまで張りつめていたものが全く解けず。

疲れているのに頭がキンキンに冴えている。夜が明けてすぐに出発するつもりが全く寝つける様子がない。

何故か枕があたったところが痒い。部屋に充満した独特のにおい。謎のかゆみが起こる枕を端にやり、水に濡らしたタオルで冷やしながら浅い眠りへ。

2時間も寝てないうちに蚊に刺され、その羽音で寝つけなくなる。

うとうとしながらとにかく体だけは休める。

一日が終わったような終わってないような感じのまま朝を迎えた。

まずは前日の走行で緩んだネジを締めるため六角棒レンチを買いに行かねばならない。幸い九州には24時間営業のホームセンター(?)トライアルがあるのを覚えていた。

とても便利なお店らしい。

1日目走行距離およそ450km。

九州へ端を求めて走りに行く

旅に出る理由が100個くらいあるとは云えないが、ひとつ理由を聞かれたら「端っこ」と答えている。

自分の記憶の特性が映像が主になっていて、それを文字に起こすのは少々骨が折れる。書いている自分を映像で動かしリズムに乗ってる間に進めていこうと思う。

九州に行こうと思う

人生でいろいろあって少し時間がとれたのでこの時期にバイクで行くなら九州。行くなら端っこまで。そうすると佐多岬しか思い浮かばなかった。

アニメ「スーパーカブ」最終回で佐多岬まで行ったことにそれなりの影響を受けて下道をぼちぼちとキャンプでもしながら目指すことも考えたのだけど、所々の事情で体力が問題になりそうなのでやめておいた。

そうなったら選択肢はそう多くなく、関西からフェリーで門司、大分、宮崎、鹿児島まで一晩。帰りくらいは走って帰ってくればいい。

しばらく逡巡した結果、帰りもフェリーに乗ることにして、その迷っている間に帰りのフェリーは予定していた次の日のチケットになった。

鹿児島県志布志港で降りて、福岡県の門司港から帰る。

4月26日に出発して5月1日に帰り着く。

九州へ

4月26日午後、大阪。

午前中にパッキングを終えて時間も余ったので早めにフェリー乗り場へ。15時到着。

受け付けは15時半からだったが、すでに並び始めていたので自分もその列に加わった。

鹿児島行きは旅行支援が使えるというアナウンスがあった。用件を満たしていたしワクチン接種証明もアプリで手元にあり流れの中で手続きを行った。

予算より結構安くなり、浮いたお金であとで船に乗り込んでからカプセルホテル状態から一人部屋に部屋のグレードをあげた。

手続きをやっている間にもう降らないと思っていた雨が少し降ってきたらしく、灰色の短髪、革ジャンと白いTシャツにデニム姿をしたハーレーダビッドソンの申し子のような壮年男性が「雨やわ。自分、ヘルメット持ってきてて正解や」と話しかけてくれた。

搭乗手続きを済ませてややしてからバイクの待機しているところへ向かうと、先ほどのハーレーの男性が、また別のハーレーの男性と話をしていた。その隣にバイクを停めていたので船旅前の偶然の会話メンバーに自分も参加することになった。前述の男性はちゃきちゃきの大阪の男性、もう一人は横浜から来られていて自分より少し上の年齢に感じた。

旅の予定やおいしいもの情報を交換しつつ搭乗時間まで過ごしていた。

その間に集まったのバイクは概ね10台。世はまだ連休に入っていないながら、そこに向かう勢いを感じる程度の人数だった。

 

フェリーに乗り込み、部屋を移る手続きをしている間に出港していて、旅に出る感慨にふける時間ももたないまま船内に流れ続ける「さんふらわあの唄」に脳をやられていた。

夕食を軽く済ませるつもりでいたら唄にやられてバイキングを選んでしまっていた。

もりもり食べて風呂に入ったが、興奮もあってなかなか寝つけずに2時間程度の睡眠を2回する程度になってしまった。

朝は軽くあんパンとコーヒーで済ませ、デッキから都井岬を眺めてから荷物をまとめて下船が始まるのを待った。

再び乗船前の二人と会い、またとりとめのない話をしていると時間はあまり長く感じなかった。思っていた時間より30分以上遅い下船になるようで、桜島のフェリーに乗る予定をしていたという横浜のハーレー兄さんは少し焦っている様子だった。

上陸

バイクの並びの各々が黙々と鞄をシートに固定している。トラックが降りていく。ほぼ全員が待機状態になった頃ゴーサインが出された。

薄暗い船内から明るい外に駆け降りる。盛り上がる瞬間。盛り上げたい。

さんふらわあさんふらわあ〜たいようにまもられて〜」

頭の中では盛り上がられない曲が流れる。

消そうと思うから消えない。消そうと思わなくても消えない。

少しバイクを停めて、早速向かう目的地までのルートを確認。

一足先に降りたハーレーのおっちゃんが停車している横を手で会釈して、薄曇りの志布志を走り始めた。

長距離を走る前に少し燃料をつぎ足しておこうとガソリンスタンドを探していると横浜のハーレーお兄さんが給油を終えて走り出すところで、お互い手を振りあって旅の無事を祈った。

自分も給油をするために寄ったガソリンスタンドで店員のおじさんとどこから来てどこに行くのかという定型文みたいなやり取りをして旅が本格的に始まった。

佐多岬まで

少し時間が遅くなったことで盛りだくさんで考えていたいくつもの目的地を削り、おおまかな走行ルートを決めて走り始めた。

気温は初夏のまだ暑くない過ごしやすさを発揮していて、心配していた寒さは微塵もないツーリングに最適な気候。

少しずつ晴れていく空にやや興奮しながら448号線をひたすら海沿いに南下していた。まずはJAXA 内之浦宇宙空間観測所を目指す。

少し田舎道を走ると海沿いを駆け上がり走り抜けるうねった道。

走っている左側、東に見える海は果てしなく、空はいよいよ青くなってきていた。

サイドバックもシートバックも詰め込んで走るのは初めてだったので少し様子をみながら峠道を走り、内之浦海岸に至る頃には荷物を満載して走ってることが気にならなくなっていた。

海岸も海も輝いていて、その景色を目で捕らえて空気を感じることに必死だった。

内之浦海岸を抜けると、橋の欄干に人工衛星の形が乗っているのがわかった。それぞれの橋で違うモデルが乗っていて写真に収めるか少し迷った。道も楽しく何度も止まるのもためらったので、記憶に留めながら坂を駆け上がった。

宙の家という場所で止まり、置いてあった「はやぶさ」の模型はしっかり眺めて、ほどなく内之浦宇宙空間観測所前。

 

資料館を見学したかったが、時間がないのでアンテナなどをみながら「ここには来た」と自分に刻みつけて再び走り始めた。

県道74号に入るかそのまま448号経由して肝属グリーンロードにはいるかぼんやり考えていたら、岸良あたりで左折しないで進んでしまい危うく峠道に向かいそうになった。

そういうこともあって、海沿いの峠道で精神を削るよりも肝属グリーンロードも楽しく走ることに決めた。なにより安心安全が大事。

山の中を突っ切る448号をジェットコースターのように楽しんで、少しずつ人家が増え始め、そろそろ広域農道に入る…と考えていたらいつの間にか海沿いになっていた。

ナビはもちろん使っていたけれど、音声のみだとこういうことは個人的にはあるあるで、曲がるところを間違えてしまうとそのまま修正されて予定と違ったルートになる。

肝属グリーンロードをしらないまま、根占の海沿い。

海の向こうに定冠詞のつくような山が見えつづけ、あれが桜島ではないだろうが脳内には名前が浮かんでこない。記憶の片隅に引っかかるものはあるけれど、無理に引っ張り出してくることはせず。

ずっとパトカーが前にいるので巡航速度が制限速度より少し遅い。むしろ志布志についてから運転しているのが高齢の方が多いためか制限速度をきっちり守っていることが多い。これはのちに大分に至るまでそんな印象があった。関西とは違う。

町の名前に佐田という文字が見え始め、いよいよ目的地が近くなってきた。

空はきれいに晴れていて、暑いか暑くないか程度。

峠道にはいる。海岸沿いにでる。海が蒼い。

再び登りになる。

碑が見えた。

到着。

佐多岬

見た覚えのある青いバイクが停まっていて、写真を撮っている人がいた。

写真を撮るのに邪魔のならない程度に避けてしばらく撮影が終わるのを待っていた。

撮り終わりこちらを見て「写真撮りますか?」と声をかけられバイクを移動させる。

「同じフェリーでしたよね」などと少し話をし、バイクと碑を写真に撮っていると

「撮りましょうか?」と。

これ以降の旅路では撮ることはなかった自分とバイクが写った記念写真を残すことができた。

 

観光案内所に進み最南端到達証明書を手に入れ、かじゅまる木を背中に海と空をしばらく眺めていた。

「展望台までいくと時間かかるし、結構しんどいよ。その後を考えたらあまりおすすめできないかも」と桜島に向かったハーレー兄さんに聞き、その話に頷きながらせっかく行くんだし見てから決めようと思っていた。

迷わず「無理はしないほうがいいな」とすぐに決めることができた。

まだこれから桜島を見て、九州東側をひたすら北上する予定なのだ。

一番の目的地は佐多岬だけど、なにより無事に帰り着くことが大事。

 

 

どこかに行くというよりどこかに行くという口実でその地を走りたい、ただそれだけ。この旅の道中で何度も思ったし、多分この先どこかにいくことがあっても多分同じことを思うだろう。

 

つづき

toku2.hateblo.jp

ベストバイ 2022

はじめに

アドベントカレンダーなどに登録してやろうと思っていた2022年のベストバイ。

体調的な問題からどこにもぶら下がることなかったので書けないと思っていたら、それとなく余裕ができたので思いつくまま書いていこうかと思います。

キッチン関係

アクリル浄水ポット(無印良品

www.muji.com

我が家はいわゆるジュース類もあまり飲まず自分がコーヒーを淹れる以外は基本的に水か野菜ジュースしか消費しません。もったいないなぁと思いながらもペットボトルの水を買っていたのですが、以前Lahanさんの家で使っていたこれを思い出して今年導入しました。

結果的に活躍度としてはナンバーワン。飲み物は基本的にここから飲む水になりました。コーヒーを淹れるときにもここからコーヒーメーカーにいれます。

惜しむらくは構造上、容量が1.1Lとそんなに多くないというところです。解決策として毎回いれたら足すという方法を取っています。

スコッティファイン 洗って使えるペーパータオル

scottie.crecia.jp

洗ったり干したりが面倒だから布巾をあまり使いたくないと思い、何かを読んで導入したこれが大当たり。汎用万能リネン類として大活躍しています。

結構雑にガシガシ使っていますが破れることもあまりなく、最後は雑巾みたいに使ってぽいっとできます。大抵は食器拭きなどに使ったものが次にその辺を拭くものになり、床などをざっと拭くようなものになり…常に2枚位が台所にあります。年間で3ロール使うか程度だったのでコスパもよかったです。

CERAMUG

CERAMUG ボトル 300mlkyocera-kitchen.com

この7月に新型コロナになり後遺症でつらいのですが、とにかく散歩には出続けるようにしています。休憩として喫茶店やスタバを利用することが多く、テイクアウトすると紙コップでは特に冬場は早くに冷めてしまう。また家で淹れたコーヒーを持ち歩いてるほうがいいなと思い水筒の導入を検討していました。

色々調べ、以前たひさんのベストバイで読んで欲しくなり、使い始めたSTTOKEのセラミックマグがとてもよかったので、中がセラミックの水筒を探してたどり着きました。

sttoke.jp

保温力はそれなりにいいことと、なにより金属臭がないのがいいです。あと中ににおいがつきにくいことや分解して洗いやすいこともとてもいいですね。

ただ、どうしても素材的にパッキンにはにおいがついてしまいコーヒーを入れるともうコーヒー専用にするしかないんじゃないかと思います。

ついでにSTTOKEもおすすめです。自分の持っているのはちょっとこぼれやすい旧式の呑み口のものですが、新しいものはこぼれにくく持ち歩きもしやすいようです。保冷保温能力が抜群にいいので、コーヒー好きは是非。

家電製品

popIn Aladdin

www.aladdinx.jp

もうずいぶん長い間機器としてもTVというものから縁遠い暮らしをしていたのですが、引っ越しにあたりPC以外の映像機器として満場一致での導入となりました。

おもにYoutubedアニメストアをみるのに使っています。繋いでSwitchのリングフィットをしたり(一時お休み中)、PS4で遊ぶこともたまにあったりなかったり。

一年近く使いっているとファンの音がおかしくなって修理を検討したけれど、初期化を行ってよくなりました。また症状がでたり安定しないこともありますが、しばらくは大丈夫でしょう。多分。しらんけど。

MOCCAMASTER KBGC741AO

www.contrasto.jp

コーヒーメーカです。買ったのは去年の暮れなのですが使ったのは今年からなので。

「ハンドドリップもいいけれどあんまり上手に淹れられないから普段はコーヒーメーカーを使いたい」という思いがあり色々見て回っていたのですが、たまたま近所の家電量販店で展示品が廉価で売られており「詳しくはわからないけれどなんかいいやつ」と即購入。2万円弱。定価が6万弱なのでかなり安価で買えました。

構造としては驚くほどシンプルです。湯を沸かして注ぐだけ。数多あるコーヒーメーカ全部そうですけども。

これでいれると美味しいんです。なんでかわからないけれど。上手に淹れられるようになりたいんですがこれには追いつけません。

あとは見た目がすごくいい。あるのは電源と保温の2つのシーソースイッチのみで余計なものがないシンプルさが大好きです。

引越し先に一番に置いた

健康など

コンクールF

www.weltecnet.co.jp

歯周病を含む口臭が気になって、マウスウォッシュをいくつか試してみたのですがどうにも合わなかったり、どれもこれも高い。

確か歯科医院などで使っているようだぞと思い導入。

寝る前に20mlほどの水に10滴ほどいれてうがいしてます。よく歯茎を腫らすようなことがあったのが今年は一度もなくなりました。起きたときのネバネバ感がほぼなくなり、使えないと次の日の朝が辛いと思う様になったほどです。

Amazonなどでは扱っているけれど定価より高いので近所の化粧品店で買ってます。一度に使う量がかなり少ないので1本(1100円)でほぼ1年近く持ちました(自分しか使わないので)

眼鏡

身につけるものでのベストは眼鏡です。

年々乱視がひどくなってきていて困ってきていて今年になり某Jのつくメガネチェーン店で作ってつけ始めました。しかし、どうにも気持ち悪くなったり頭が痛くなりで長時間つけることができず放置気味になっていました。

「それなりの技師がいる眼鏡屋で作ったほうがいいのでは…」と悩んだままきっかけを失ってそのまま裸眼で過ごす日々が続いていました。秋頃パートナーも眼鏡を作り変えることになりせっかくだから一緒につくる話になり「長年使うものだからお金をかけてもいいと思う」ということで、何かあっても対応してもらいやすい距離にあり、安心できるお店を選びました。

daigakudo.com

様々な検査をして技師さんと打ち合わせて特にプリズムをいれることでだいぶ見え方が楽になりました。年齢的に目は悪くなっていく一方なのでしっかりとアフターケアを含めて技師の方にお願いするのは大事だと身にしみてわかりました。

フレーム選びは楽しく、自分があまり一般的ではないものを選ぶので、お店の人も楽しそうにニッコニコで丸と四角眼鏡を候補にあげてこられたり(成田悠輔という学者の方がつけてらして有名だそうですね)色々楽しく選べました。そのなかでこれが気に入って選んだのがこちら。

MASAHIROMARUYAMA - マサヒロマルヤマ公式サイト

めがね

慣れるまでは斜面がすごく傾いて見えたり、テーブルの上のものが斜めにみえて気持ち悪かったりしたのですが次第に慣れていきました。体調が悪くなることもなくつけ続けることができ、毎日つけるようになりほんとに買ってよかったです。

費用は8万と少し。フレームとレンズの価格になります。それでアフターケアを含めたものになっているので十分満足できるものになりました。

 

おわりに

昨年の暮れに引っ越し今年はじめに色々と買い替えた中、今年の後半になってから買ったものも結構ありますね。印象に残っているからかもしれませんが。

今年の前半はバイク用品もそれなりに買っていたからかもしれません。それについてはまた別途旅の記録で書きたいと考えています。

以上2022年のベストバイでした。

 

手ガリと塩タブレット

これははんドンクラブ Advent Calendar 2022の12月14日の記事になります。

adventar.org

2022年はほんとうにいろいろとありましたが、なんといってもゆるキャン△の映画が公開されましたね。いろんな層にゆるキャン△が届いているのがわかりファンとしてとても嬉しかったです。

早くもAmazonPrimeで視聴できるようになっていることですし今更ネタバレもないと思って書き始めます。見たことがあると楽しめますし未視聴の方でも楽しめる内容だと思います。

ゆるキャン△映画版について

まずは映画版に関してはアニメ版ゆるキャンの独自路線というか二次創作のような流れの作品だと思っています。

細かい事抜きにすると「あれだけ地元でわちゃわちゃするのに千明が後輩2人(13巻から登場)を完全に無視してなにかするわけない」以上!閉廷!解散!

遺跡発掘!

さて、映画版ゆるキャンのストーリの中で一番のキーポイントととなったキャンプ場予定地での遺跡発見。調査のためにキャンプ場の建設がとまってしまっただけではなく、キャンプ場自体も中止になりかけた一番の話の転がり部分でした。

実は私…遺跡発掘やったことあるんです

人生で生きていくためにやって仕事のうちのひとつに遺跡発掘調査があります。「遺跡発掘してたことあるんですよ」などというと大抵の人から「は?」という反応があります。興味をもって質問される…ということもなく大抵は「変わったことをしたんだね」ていどになります。そんなもんです。

実際にやっていた期間はそんなに長くないのですが、2か所で発掘に関わっていました。

映画を見ながらそのことを思い出したので、この機会に簡単ですが書いていこうかと思います。

遺跡を発掘しよう

遺跡発掘にどうやったら参加できるか疑問に思う人も多いでしょう。

私の場合は無料の求人誌を眺めてたら載っていたので応募してすぐ参加することになりました。

面接などもありましたが「免許持ってるか?そしたら来月から新しい現場始まるから5時半に駅にきて」くらいの話で終わりました。あくまで自分のケースなので注意してください。

現場に出てから知っていったのですが、発掘に関わるのは大きく分けて3つの組織です。

  1. 遺跡のある市町村教育委員会の方(とてもえらい)
  2. 1から仕事を受けた元請け会社(えらい)
  3. 2から仕事を受けた下請け会社(つらい)

現場に採用されるとほぼ3の人になります。現場であらゆることをします。

「つらい」と書きましたが、端的に言うと土木の現場作業員なので体力がほぼ9割の仕事になります。そこそこのヒエラルキーの中で怒号と汗と泥に塗れながら頑張っていきます。

このヒエラルキーに属さない人もたまにいます。立場としては3の人になるのですが、ほぼフリーランスで発掘に携わってこの道何十年というベテランがいらっしゃいます。人によっては1から2にかけての発言力ないし、そういう立場だったりするので迂闊なことをすると2の人も怒られたりしていました。こういう方は2の会社の指示の下で重要な現場から現場へいっては要の作業に携わっていらっしゃるようでした。

ゆるキャン映画内でみんなが発掘作業を手伝っていましたが。1の人にお願いしてボランティアみたいなかたちだったんでしょうかね。元請けや下請けの作業員からしたら「なんだこの子達は…?」と思われたのかもしれません。

当たり前だけど契約とか賃金のこととかね。色々あるから!

作業の流れ…その前に

いざ「遺跡を発掘するぞ」と意気込んで現場についてもいきなりあの遺跡の形に開いた穴があるわけでもないので掘っていかなくてはいけません。

場合によっては現場の草刈りからです。自分たちがそうでした。草刈りと言うか…生えているものをきれいにしてしまう作業。あとは現場の周囲をフェンスで囲うことからでした。

範囲はちょっとした*1小学校のグランド1面分ほど。ノコギリで木を切ったり、草刈り機でひたすら草を刈っては集めて処理。その作業の合間にフェンスを立てていきました。

映画の中でフェンスは立てていませんが、木を切ったり草を刈ったりは彼女たちがやっていた作業ですね。地味ですが大事な作業です。

ちなみに私は山村生まれで家の手伝いやなんかで草刈機などこういった作業は手伝っていたので自然に身についていました。

私が関わったときがちょっと特殊な事情があり、私とイタリア人(50代)とフィンランド人(20代)*2の3人チームで作業の殆どをやりました。イタリア人のEはイタリア語と少しの英語、フィンランド人のAは英語と日本語、そして私が日本語と少しの英語。言葉も文化的背景も全く違う3人での作業はなかなかな珍道中(?)になりましたが、それはまた別のお話です。閑話休題

この作業に2週間弱かかりました。このあとにプレハブ小屋の休憩室を立てたりして発掘の作業が始まります。

発掘らしい作業の開始

大まかな流れ

作業の流れは三重県埋蔵文化財センター から引用しますとこんな感じです。

図1 三重県埋蔵文化財センターから

とてもわかりやすい図で説明の手間が省けていいですね。

この図の①にあるように大まかにはパワーショベルでざっくり掘っていきます。

前項3の会社の親方が掘っていき、作業員がそのあとの②と③の作業をひたすらやっていきます。②番の作業が発掘作業のイメージとしてあるかと思います。

道具について

図をもう一つ

図2 同じく三重県埋蔵文化財センターから

この図の上の真ん中と下の真ん中にある道具を主に使います。

大きな作業では主に「スコップ」「ジョレン」土を「てみ」に乗せて処理。

三角ホーとありますが、下にある手ガリと対比で「ガリ」と呼ばれてた気がします。

細かくなっていくと下にある「手ガリ」ここでは移植ゴテと書いてある「手スコ」あとは「手バチ」が使用する道具のほぼ全てです。

掘るのではなく削る

実際に遺構を探していくのですが、大まかな当たりをつけたあとはそれを探すために掘っていくのではなく、土の部分を「削って」いきます。

スコップはこの図では先が丸いものですが、私のいた現場では「角スコ」といって四角いスコップを主に使っていました。それを使い水をまいて粘土状になった土を地面を大体5mmずつ削る技術を身に着けていくことになりました。遺構を掘るときや水はけ用に溝をつくるときはもうちょっと大きく削ることもありましたが、基本的には少しずつ削っていきます。腰を使って柄を押して削っていくのは慣れるまでかなり大変でした。

この作業の間に男女共何人か新しく来ては次の日からみなくなっていました。発掘を開始したのが残暑厳しい9月ということもあり完全に力仕事の土木作業。現場猫案件もありましたし*3。私自身も熱中症で倒れたこともあります*4スポドリと塩タブレットを毎日大量に消費しても防げませんでした。お茶しか飲まない人に渡すこともあり毎日塩タブレットはすごい勢いで減っていきました。

ざっくりとした場所以外は手がりや手スコを使って作業していきます。

詳しくは以下のリンク先を参照していただきたいのですが

shiga-bunkazai.jp

発掘作業の大半は手ガリを使った「ガリかけ」です。

粘土状の土を大体1mmずつ削っていく作業。これがとても難しい。

ガリ/公益財団法人滋賀県文化財保護協会から

どこに土の色がかわるかわからない地面を皮を剥くように削り続ける。大事な出土物や遺構を壊さないようにひたすら薄く、刃を立ててしまうことのないよう、毛羽立つこともないように。

現場の人々

前述したフリーランスのようなベテランの方はガリかけになると参加して来られます。マイ手ガリを何本も持って来られる人もいました。同じように見えてやっぱり刃物になるのでいいものはいいんです。貸してもらうと違いがよくわかりました。

教育委員会の先生も大まかにやっている段階ではいつもいることはなかったのですが、本格的なガリかけになると一緒に作業をして遺構の検出の判断や出土物の回収をされます。ベテランの作業員の方も一緒に判断されたりしていました。「先生」と呼ばれて現場でなにか気がついたらその作業最優先。

元請けの方は一緒に作業をしながら、写真撮影や測量などを軸足とした動きをしていました。

ガリかけ以外の大変な作業

発掘作業以外にも作業中の現場の保全というのにもかなり気を使います。

ガリかけしたあとは安易に踏んではいけないなど、キレイに削った表面には最善の注意を払います。乾きすぎてもいけないし雨に濡れて台無しにならないように一日の作業が終わったら保護シートを被せていきます。これがまた大変で小さい遺構ならシートを一枚かぶせていけますが、25mプール大の遺構となるとシートを何枚も使い雨水が入りこないようにまた端が崩れないようにとても気を遣っていかねばらなず、10人くらいでも30分かかることがありました。小雨なら作業しますが、雨が強いと作業を中止、シート掛けに追われます。台風なんか来たときには現場がどうなるか戦々恐々です。

出土物が出た

遺構を削り出していくのも大事な作業ですが、出土物がでるとテンションが上がります。ただこのへんはベテランの方や先生に任せる事が多かったです。

ガリや手スコの技術がある程度身についていても、遺構をキレイに出したり出土物を欠けなく掘り出すのは難しいです。手ガリをしていくなかで小さい破片を掘り出すことはよくありましたが、土と同化しかけたものを削ってしまうこともありました。

記録していく

遺構がきれいに出るとその周りを白く塗ります。遺跡のニュースなどで柱のあとの穴の縁を白く塗ったものをみたことあると思います。あれもベテランの方がよく塗っていました。そのあとには写真撮影です。

大きな遺構になると高いところから撮影しなければ全景が撮れません。いまならドローンで撮れるんでしょうか。

図2の右のほうに櫓がありますがこれを組んでいくのも仕事です。現場によっては高所作業車を持ってきてらくらくと上からの撮影ができるらしいのですが基本は櫓の上からになるようです。

地面の下で土を削っていたのかと思ったらハーネスをつけて単管を組んで6~7mの場所で高所作業することになるとは思いませんでした。高所恐怖症なので尚更です。

先生が「反対側から撮りたい」といえばバラして運んでまた組んで、もう一度「あっちから」というとバラして運んで組み上げて…大変でした。

発掘調査に関わってみて

一度はやってみたい?

なんかよくわからないけれど一度はやってみたいと思う遺跡発掘のあまり紹介されにくいところを触れてみました。慣れないと本当に大変ですがガリかけをやっていき遺構がわかってくるととても充実感がありました。

またここに書いた作業の大半が半年ほどかけて行われた大きめの現場の印象で書かれています。少人数で1週間ほどで作業した4m×2mほどの遺跡発掘は和やかなものでした。

ゆるキャン△映画内で行われた作業もきっと穏やかな感じだったんでしょう。それでも人手が必要なのはガリかけ。みんなでガリガリとやってたんでしょうね。

あれは本当に難しく奥が深い。

機会があればどこかでやってみたくあります。小規模な遺跡で。

*1:120m×80mくらいあった

*2:いまでもたまに会って飲んだりする

*3:一般的にイメージされる発掘作業を想像して来られた女性が回転するパワーショベルのバケットに吹っ飛ばされてそのまま帰っていったとか

*4:朦朧とした意識の中で現場に散水している人に「水かけて!」と叫んでなんとか体を冷やして助かった

コロナ罹患と後遺症

現在の症状など

先月コロナに感染&発症、自宅療養10日から1週間になります。

コロナそのものの症状はいわゆる軽症でしたが、その後の後遺症がかなりつらく続いています。主な症状としては胸の痛み、異常な疲れやすさ、思考力の低下、頭痛、めまい、手足のしびれた感、冷えなど。地味に困るのが仰向けに寝られないこと。食べられる量もかなり減りました。

今現在は自宅療養するしかなく、というよりも突然来る強い倦怠感や胸の痛みなどがあるため、おいそれと外に出ていけないと思っています。

病院にかかってはいますが「とにかく休むしかない」ということで、投薬として漢方や症状が強いときの頓服を飲んでいます。

発症前から今現在まで

自身の忘備録として、また知ってもらうためにも文章として残していこうかと思い、これまでのことを時系列でまとめていきます。

7月19日以前

職場の利用者の家族に陽性の方がでたため休むなどのことは度々でてきており7波がきているとひしひしと感じていた。そのような連絡があるのは概ね前回利用から2,3日はあいていたケースで濃厚接触者にはならず。職場柄マスクや手洗いなどの対策はとくに気を使って行っていたにしろさまざまな可能性は捨てきれず。対人関係の仕事である以上どうしようもない。

7月19日

今思うと、この日の夕方あたりに喉の違和感があった気がする。

ただこの週はスタッフが家庭の事情で休むことになり忙しかったため声を出しすぎたかなと思う程度だった。

7月20日

朝起きると軽く喉の痛みがあった。とはいえ発熱もなく、たまに見聞きする「クーラーにやられたかな?疲れているし」と仕事に向かう。

前述の通りスタッフがお休みのため常勤現場スタッフが自分しかおらず休むに休めない状態で仕事を続ける。午後になり少しずつ痛みが強くなり、頭痛も強くなる。

ワクチンを受けたあとの頭痛の感じに喉の痛みをプラスした症状。

16時頃熱を測るが発熱はない。ただ、喉の痛みは強くなってきて、コロナ以前はたまにあった「喉が痛くなって熱が出始める風邪」になりかけていることは強く感じた。上司に症状を伝え話し合い、終業後に行ける病院にかかるか検査を受けることになる。

18時に退勤したあとにいける病院を探すが、検査を受けれるような病院はもう受付を終了しており、無料検査場を利用することにする。

職場最寄り駅についた頃に上司から電話があり、経営者からの「熱中症でしょ。2リットルくらい水分とっといてって言っといて。明日病院行ってコロナじゃなかったら午後出勤して」という伝言にブチ切れる。

無料検査は程よく並んでおり15分ほど並んだあと、風邪の症状の有無を尋ねられたが「発熱はなく頭痛や喉の痛みがあります」と伝えると「熱がないなら大丈夫です」ということで受けることに。PCR検査なら翌日の夜に検査結果がでるということで、すぐに結果がでる抗原検査を受ける。

この時点で可能性は半々くらいかなと思っていたが、結果は陰性。

たが、翌日病院で同じタイプの抗原検査を受けたが、明らかに自分が綿棒をしっかり入れることができていなかったと気がついた。自分で検査を行う際はこういうことが起こると思ったし、同じようなことはかなり多いのではないかと思う。

職場に陰性であることを連絡し、とりあえず明日の午前中に病院へ行くことを伝える。

夕食はパスタでまだ飲み込むのにも苦労はなく、食べたあとくらいに尋常ではない寒気を感じ始める。

寒気というか寒い。突然真冬になった。

熱を測ると38.1度。

0時頃に39度を超え始める。

とにかくポカリを飲みながら寝る。何度か起き、着替えながら。

7月21日

8時 体温39.1度

市に問い合わせて発熱外来をやっている病院をリストアップしてもらう。電話して問い合わせるが近くの発熱外来は受け入れ枠がない状態。範囲を広げて探し、9時半頃2駅離れた病院が受け入れてくれるということでタクシーで向かう。

病院の前で1時間ほど待ち、別にプレハブで作られた診察室へ。

躊躇なく綿棒を突っ込まれ、手際よく処理されたものを、目の前に差し出される。

「はい、陽性ですね。会社にだしたりするかもしれないから写真撮っといてね」

そのあと、医師から何度も何度も繰り返して言ってきたであろう療養についての諸注意事項を聞き、また30分ほど病院の外で待ち、門前薬局で解熱剤や吸入薬などをもらう。

そのなかでも、「喉が痛くて食べられないとき用」として渡された合計7錠の薬のセットがとてもよく効いて、夕方ころにはひどい痛みはなくなっていた。

あれがなければしばらく食べることに困っていたと思う。

職場に陽性であることを連絡。10日の療養を伝える。

昼頃帰宅し、ウイダー的なゼリーを食べ、薬を飲んでひたすら寝る。

市に連絡をする。支援物資をお願いするが、二人暮らしの場合は濃厚接触者が「気をつけて」買い物にいけるという。こんな状況になってきたら仕方ないかな。

このあたりからあまり記憶がない。

7月22日

熱が37度後半までさがる。

喉が痛く、咳が出る。胸が痛い。息が苦しいとにかく苦しい。

仰向けに寝ていらない。うつ伏せか横向き。

市に連絡してパルスオキシメータを届けてもらえるようにお願いする。

食べるものはゼリーかうどん。お腹はすくような感じはするが量が食べられない。

7月23日

熱は37度前半。

症状はマシにはなってきた気がするが、苦しいのはかわらない。ずっと寝てもいられないし、起きてもしんどいのでクッションを抱いて座ったり、どうにか楽な体制を取れないか模索。

午後にパルスオキシメータが届いて早速計測。

94前後でブレが出るが、95以下のときは市に連絡となっていたので電話。

夜に医師が往診してくれることになる。

22時頃、往診サービスを通して医師が到着。

医師の持つパルスオキシメータでは97

市から届いていたものをみて「その支給されてるやつ低めに出るんですよね」と。

薬のことや過ごし方について丁寧に説明して頂き、いま持ってる薬で十分対応できるという話で、とにかく休んでくださいと。

翌日、往診サービスから明細がきたが、保険を通しても2万円を超える額になっていた。あくまで市からの派遣ということで自己負担はなかったことに安心。

7月24日

喉の痛みはもうあまりないが、苦しく胸が痛い。

体はつらいが、ずっと寝てもいられず。

リコリコや惑星のさみだれなどのアニメを見たり、読みかけだった五等分の花嫁を最後まで読んでいた。

話すこともしんどかったのでこの日まであまり会話らしい会話ができずにいた。

7月25日

同居のパートナーも発熱し37度中盤で喉の痛みと咳がでるようになる。

病院を探すが9時過ぎの段階で電話がつながらず。自分のいった病院は2時間待ちで受け入れはあるという話になったが、タクシー&外で待たなければいけないし付添もできないので、近くの病院に的を絞り次の日朝イチで電話することにする。

時間だけはあるのでStrayを買ってプレイしはじめる。

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熱はもうあまりないのだけど息が苦しく、少し立っているだけで息は上がりシャワーを浴びるだけで酸欠を感じ手足はしびれる。

サチュレーションは96-97 少し低いが問題はないとされる程度

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ほんとこれが謎で仕方なかった。

7月26日

朝9時に近くの発熱外来に電話が繋がりパートナーが受診。陽性。

支援物資の申請をする。送れるのは一人分で2,3日で届くとのこと。

苦しい。

7月27日から30日

ゼリーやうどんで食べつなぎながら、突然カレーが食べたくなってUberで注文することもあった。

体重が2kg減っていた。

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ここに書いた症状がずっとつづいいてどうにもならず。

ただ、ずっと部屋の中だから散歩に出たい欲が高まり、早朝にマンションから500mほど歩いいて、ヘロヘロになって帰ってくる。

7月31日

10日の自宅療養が終わる。

ここまで毎日保健所から電話で確認されることがなくなることに安堵する。電話があるのはわかるがいつかかってくるかわからないのは気持ちがすり減っていたので、それだけでもかなり大きい。確認は必要なんだけどもね…

ジャンクなものが食べなくなって、なか卯の食べラー唐揚げ丼を買う。

少し歩いて本屋に行く。少し歩けるかなと手応えを感じるが、やはり強い疲労感がでてしまう。

8月1日

月曜だけど公休日。

茶店にいきたくなり、午後に本を鞄に入れ2時間ほど過ごす。行き帰りは休み休み。

帰ってか36.9程度の微熱にならない微熱。

ただ、この日までも36度後半の微熱にならない微熱は時折でていた。

仕事復帰できるのか不安なまま寝る。

8月2日

職場に向かうが、ついた時点で異常な疲れ。

上司(8月から異動になった先。7月までとは別)に「10日も休んで社内に迷惑をかけたことをそれぞれの事業所に電話して謝罪して」など言われるが、そんなことより今から仕事ができそうもない。

このままではどうにもならないと思い、経営者に電話しそのまま病院にいくことに。

検査を受けた病院へ行き受付で話をすると、一応コロナ関係ということで隔離診察室での扱いということになり、外で2時間ほど待つ。

プレハブの診察室で流れ作業のように医師から検査を受けそうになるが、ここで検査を受けたこと10日の療養が終わったことを説明をして回避。医師も看護師も完全に目の前に来る人を処置していくで精一杯の様子。

現在の症状を説明をすると

・後遺症のことも含め、いまのウイルスでどんな予後になるか正確にはわからないこと

・まだ療養を終えて2日だとその症状がでていてもおかしくはないこと

・できることはひたすら休んで体力をつけること

・よく水分を摂って寝ること

・間違っても外に出て体力を取り戻そうとしないよう。熱中症予防としても。

・まずは日常生活のなかで徐々に取り戻してほしい

という旨を話され、漢方を中心に処方された。

職場にはしばらく休むことになる連絡をして、帰って様子をみることに。

また家にいなきゃいけないのかと暗澹たる気持ちになる。

いわゆるブレインフォグの状態で好きな読書もそんなにできず、後遺症の症状としてもある気持ちの落ち込みがしばしば強くなってきていた。

8月3日

長時間自宅にいて、そんなに頭を使わなくてもできそうなことを考えた結果、牛すじを煮込もうと考える。

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たまにかき混ぜて鍋を確かめる度に倒れ込むくらいに疲労感がひどく、自分の体になにが起こってるのか全くわからない。

煮込んだあと、頭痛とめまいでしばらく倒れ込んでいた。

頭痛は薬でマシになっていたが、めまいは日が変わる前まで続いてとてもつらかった。

8月4日

朝起きて「ああ今日も調子がよくないぞ」と感じる。

午前中に少し歩いて近くの八百屋に玉ねぎを買いにいく。

16時頃まで伏せったあと、玉ねぎを炒めてるなどカレーを作り始める。

17時半頃完成し、頭痛のためしばらく休み。

8月5日

熱はないが風邪を引いたときのようなふわふわした感じのある倦怠感が一日続いていた。動くと激しく疲れるためどこかにいってなにかをしようとは思えず。

書類の郵送のため郵便局まで行って、一日を終えた感。

息苦しさ、胸の痛み、倦怠感、手足の冷え(しびれに近い)は継続。

シャワーだけでもとても疲れて、手足がピリピリする。

8月6日から7日

寝てるか飼っている亀の世話をしているか。

スマホではバイクに関する記事をみまくり土曜午後はYou Tube鈴鹿8耐をみていた。

近くの蕎麦屋に食べに行くことはできた。

夕食を買いにコンビニまで歩くけれど、息苦しく胸の痛みがでてきて一緒に行ったパートナーの歩く速度についていけず。もともとお互いに早足なのもあるけれど。

8月8日

いまのうちに文章にまとめておこうと思いたち、10時頃に書き始める。

現在15時。

息苦しく、ぼんやり。

バイクに乗りたい。旅に出たい。

大きく動いていないので強い疲れはまだ感じていないが、胸がつねに苦しく、倦怠感は当たり前のようにまとわりついてきている。

今後のこと

現状不安でしかないのです。抑うつも症状としてでてますし。正直全くどうなるのかわからないというのが正直なところです。

(多分)傷病手当金はでると思うので、今月いっぱいはとにかく休むことにします。

エビデンスのある有効な治療法がない状態では、多くのケースが1年ほどでよくなっているという情報を信じて回復を待つという手段を取るしかないのでしょう。

もちろん、情報はある程度みていますが安易に飛び込むものでもないかと。

来週には薬がなくなるので病院に行く予定をしています。近くで後遺症について診てもらえるところがあればいいのですが。市は後遺症についての相談を受け付けているようですが、1ヶ月経ってから症状が続いていればということなので、とにかくこの期間はこうして無理をせずに過ごすしかないのでしょうね。

支えてくれているパートナーを始め、周囲の方々には感謝と申し訳無さでいっぱいです。

仕事内容もちょっと考えるところがあったので、これを機に真剣に考えていこうかと思っています。

自分も含めコロナに罹患した何%の人が全く同じではないですが似たような後遺症で苦しんでいて、少しでも楽に理解ある人達の中で過ごしていけるように願います。

ベストバイ2021

この記事ははんドンクラブ(ベストバイ)アドベントカレンダーの21日目の記事です。

adventar.org

 

遅くなりました。

引っ越しだなんだととてもぐるぐると目まぐるしく目の前のことをこなしていたらすっかり記事がかけていませんでした。お財布を落としてマイナンバーから何から失ってしまうことが最たることでしたが、インターネットが開通したのがつい先程で…

さて、今回引っ越して買ったものはとりあえず来年かな…と思っているのですが、とりあえず昨年末から今年12月にかけて買ったもののベストを列挙していきます。

マムートXeron 30

www.mammut.jp

通勤用リュックとして購入。

日常生活ではトートバッグを持って歩いてるのですが、通勤用はリュックにしたいなと考えてずっと探してました。以前、どこかのクラファンで買ったビジネスリュックは容量が少なく中が破れてしまっていて使えなくなっていたので…

条件として

・開け閉めは巾着のやつにできて蓋で閉じるもの

・サイドにペットボトルの入るポケットが付いているもの

・ハンドルの位置がしっくりくるもの

・上下着替えを詰めてもぱんぱんにならないくらいの容量

・書類をいれても大丈夫

・アクセスしやすいポケットが外側にあること

これらを条件にお店を巡ってもどうも気に入らずにいた頃、すてらさんの

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ここからメーカーを絞って悩んだ結果こちらになりました。サイドのポケットは諦めて中に全部入れてしまえのスタンスです。

感想

とても使いやすいです。バンバン詰め込んで引っ張って蓋をしてと自分のイメージどおり使えています。蓋の部分にポケットがついているので、定期や社員証を入れてすぐに取り出せます。飲み物はペットボトルごと放り込む運用でやってます。

 

Bose QuietComfort Earbuds

www.bose.co.jp

泣く子も聞こえなくなるBOSEノイズキャンセリングイヤホンです。愛用していた  QuietControl 30 が断線してしまい、生産終了で修理もままならないということで次の世代に移りました。BOSEのQCシリーズは初期の15の頃から愛用していて、概ね新製品が出るタイミングで買い替えています。

感想

初めてのワイヤレスということで一番心配したところは落としてしまわないかということでした。ただそこは以前のQCから続いているイヤーチップが耳介でもささえてくれることで外れることはほぼないです。イヤーチップの大きさは三種類。自分は耳が小さいためSサイズでもちょっと大きく感じて最初は痛かったです。そのうちこなれたのかフィットしています。

肝心の音やノイキャン性能について、使い始めは何が変わったんだ?という感じでした。その後のソフトウェアアップデートで使い勝手とともにかなり変わっています。

ノイズキャンセルが最大になるQuiwtモード、周囲の音が概ね聞こえる状態になり会話などができるAwareモードできたのはとてもありがたいです。左耳をタブルタップで簡単に切り替えできます。

Quiwtであっても電車のアナウンスは聞こえるようなセッティングになっているんだろうなという感がありましたが、逆にAwareでは金属音など嫌な音になるものは防いでくれています。以外にこういう機能はなかった…もしくはこれまで気がついていなかっただけなのかもしれないですけれど、周囲の音を取り込んで選択して音を出しているのにそれに遅延を殆ど感じないのはすごいと思います。

残念なことは、ほんとブチブチと切れやすいことです。周囲でBT機器を誰かが使いはじめると途切れているのかなと思うのですが、電車の乗り降りがあると途切れることが多いです。もうこれはしかたないのかなと諦めています。あとはiPhoneとの相性なのかiPhone SE2だからないのか…それがなければとてもいいです。

BOSE信者ですからね。この音が自分の聞こえにあっているので選択肢がなかなか増えないのです。

 

ホットサンドメーカー

www.amazon.co.jp

今年、生活をすっかり変えたレベルでのマイベストはHSM。

だいたいリロ氏のせい。

www.youtube.com

ゆるキャン△で志摩リンが作った豚まんのあれを作ってみたいとは思っていたのですが、それだけじゃなぁ…と思ったところの後押しはリロ氏の作る様々な料理でした。

感想

最初に買ったものは主に肉を焼くのに大活躍。そのうちもっと色々と作りたくなって

www.amazon.co.jp

こちらの少し大きめのものを購入しました。

炒めるような使い方をするときや、大きめのものを調理するときに大変便利です。ただこちらで紹介したものは上下がはずれなくて洗いにくいです。(冒頭で紹介したものは上下が外れてとても洗いやすい)

HSMを使った調理法はもう完全に好みの問題でハマればハマるものなので、たくさんの言葉を使うより一度使ってみてくださいとしか言えない気がします。

 

番外

昨年末に買ってマイベスト中のマイベストなのですが、なんかちょっと違う気がするので番外になるものがこちら

www.bikebros.co.jp

バイクです。車種そのものは自分でこれがいいと選んだわけでなく、たまたまタイミングが合って学生時代からの友人から買うことになりました。現在のバイクの高騰から考えると安価で譲ってもらったのですが、車検や修理で購入価格と同じくらいコストが掛かりました。それにしても中古車の価格が新車の価格を大きく超えていくほんとに変な時代になっています。

バイクに乗るには車両だけでなく、ヘルメットだったりグローブだったりの安全に乗るために必要なもの。環境よっては駐車スペースなども必要になります。また快適に乗るための服装を準備していくことも必要になってそれなりにコストがかかるものになるとは思います。

 

ただそれを遥かに超えていく素晴らしさ。

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旅に出よう。急がなくてもいい。たくさんの景色をみよう。たくさんの経験をしよう。

今年行ったツーリングはそのうちまとめたいと思います。

まとめ

いかがでしたか?

考えていたもののいくつかは時間の都合で省くことになったのですが、今年買って自分の生活を変えたものなどを挙げていきました。

「もっと挙げたいものはある」「追記したい」そんな思いは締め切りを過ぎているという現実にの前では圧倒的に無力。

このいくつかがなにかのきっかけになれば幸いです。