日々、これ口実

自分の感じたこと、思ったこと、ただの雑記

2015年という幕末

縁あって、とある神社の宮司さんの話を聞くことが最近ちょくちょくありまして、なかなか興味深いことを話されるので、走り書き程度に。

正確な年齢は聞いていないのですが、80歳を少し過ぎた宮司さんで、お祓いなどの神事は息子さんに任せて、社務所の一室で色んな相談に乗っておられる方です。

例え普通の神社での話でもあっても、割と現代の日本においては宗教アレルギーの方がいて、こういう出だしで話をすると耳に蓋して回れ右という方がいらっしゃることがありますが、ほとんど宗教とは関係のない話です。

 

宮司さんとなんの話をするにも、話の枕に以下のことを言われます。

 

「今の世は幕末やから自由に生き」

「20世紀は努力して競争に勝った負けたという世の中やったけど、21世紀は競争いうもんがなくなった。逆に楽をする生き方がようなった。楽をすればするほどそれを羨ましがられ、勝ちやいわれるようになった。20世紀の努力して競争に勝ついう生き方してもえらい(しんどい)だけやで、あんたらが育ってきたときに教わった努力して勝ついう考えは忘れたらええ。それが今の世の生き方や」

「阿呆になり。ほやけど馬鹿になったらあかん。馬や鹿みたいに慌てて走り回ってもどないもならん。阿保にはめんどくさいこと聞かんでええんじゃ。呆けて聞かんふりしとれる」

 

 

「今は幕末」という話はなるほどなと割と思うところがあります。幕末と言われる理由として聞いたことを大まかにまとめると、「黒船が来たわけではないけれど、TPPの問題や朝鮮半島や中国との問題、震災や噴火、ちょうど幕末と同じようなことが起こって、国政も不安定になっている。そこに尊王攘夷とは言わずとも、右や左とよく声が上がるようになっている。インターネットいうものができて同じような考えのもんが集まりやすくなった」ということで、「だから、なにをどう思おうとも何をしようともあなたが向かいたい方へ自由にやりなさい」と。

「20世紀の考え方でおるもんが勝ったや負けたや決めたがるけど、今の世の中でそういうてもどうしようもないことやから、阿保になっといたらええ。惑わされんと自分の思うところに進みなさい」とも。

そこから色んな事が考えられるのですが、今の私は明日も生きていられればという割と切羽詰まっている状態なので、大局はみますがとりあえず目の前の草刈りをしないと守るも攻めるもなので皆まで申しません。

 

話される宮司さんは年齢から体も動かしにくく、舌も回りにくくなって注意深く聞かないと聞き取りにくいのですが、「自由に楽にめんどくさいことはほっといて、しかしながら付和雷同にはならず自分を持って生きなさい」と、それなりのお宮の宮司さんがおっしゃるととても頭に残ります。

 

最近はTwitterFacebookもどちらかというと眺めるだけのようになっているのですが、一つの事柄をとある思想の人は賛美して、とある思想の人は批判して、とある思想の人はそのどちらかを批判してるというのをよくみます。

特に実名のFacebookはその色が濃く「Facebookはまともな人ばかりでよかった」とその内輪以外だと反論や叩きにあう内容を中年期の割と社会的地位が高い人たちが確かめ合っている様が流れてくるのは興味深い現象だなと思います。

元々テレビを見ないので昨日ふとFacebookを見るまで詳しくは内容は知らなかったのですが、年末に起こったことで「サザン最低」と「サザン最高」という同じ事に対する全く別の評価のスレッドが並んでいたのは面白かったです。

 

宮司さんと話していることは上記と全く関係なく、私の住んでいる地方は祭りが盛んで、私も地元のとある社で獅子舞をやっている関係で神事なんかの話をしに行っているだけなんですが、ここ一ヶ月ほどで何度も聞いて印象に残ったことなので、書き記しておきます。

 

追記

詳しくは覚えていないのですが、維新の会という政党ができたときに幕末のようだからという理由で維新と名がついたような気がします。多分、そことは違う考えで言われているというより、意に介せず幕末とおっしゃっているようです。