日々、これ口実

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承認欲求のこと

この記事ははんドンクラブ Advent Calendar 2020 14日目の記事です。
adventar.org

はじめに

皆さん幅広く興味深い内容を書かれていて、はんドンの末席で口に糊している者が何を書くことができるのか結構悩みました。

今年は引っ越したり婚活したり転職したりバイクに復帰したりとテーマとしては色々考え、今年読んだ本でもまとめてみようともしてリストを作ろうとして進まず。

最近仕事モードからなかなか切り替わらずに困っていたし、それならいっそ自分のフィールドで書いてみようかと思い至りました。

ぼんやり「承認欲求」のことにしようかなと考えて練っていました。ちょくちょく思うところがあったので。

このテーマなら仕事中にメモしてても仕事やってる風に見えるし!便利!

ただの持論の展開になるのでそのへんはご了承ください。思い込みなんて読みたくないという方は適当に検索して出てきたところを貼っておきますのでそちらをどうぞ。

 

承認欲求とか自己肯定感とか

「承認欲求」「自己肯定感」という言葉、個人的にここ数年ですごく流行っていたなという印象がとてもあります。なんでそんな悩むの?わかるけども。
特にTwitterで心理学的によく引き合いに出されていたのはマズローの欲求の法則のあれです。「自己実現理論」というらしいですよ。

ですが、ここは視点を変えましてエリクソンの発達段階からみていこうかと思います。何故かというと、マズローは散々語られているし、自分が普段エリクソンをよく扱っているから、ということになります。エリクソンといっても通信機器の会社じゃないですよ。最近見かけませんけど。

エリクソンてなに?誰?調べてみました。

エリクソンとはエリク・ホーンブルガー・エリクソンというドイツ出身の発達心理学者でアイデンティティ という概念を提唱した人です。

アイデンティティという言葉は聞いたことがない人がいないと思いますが「自己同一性」というもので、平たく言うと「自分って何者?」という概念のことです。「そんなこと知ったこっちゃねーや」と思う人もいるし、深く考え込んで探し回る人もいますが、なんでそんなことになるのかも後述するつもりです(あくまでここを書いている時点での予定)

エリクソンの著作”Identity: Youth and Crisis”は1968年に発表されているので、論文として発表されてからまだ50年ほどのものなんですよね。精神医学の歴史も120年と少し。エリクソン精神分析創始者ジークムント・フロイトの娘アンナ・フロイトの弟子なので歴史的にもそんなもんです。意外に最近のことですね。いかがでしたか?

エリクソンの発達課題

発達課題の一覧をみてみよう

エリクソンの発達段階というのは、マズローの欲求の法則と同じく、高校の家庭科の授業ででてくるものなんです。多分。教科書の副読本で見た気がする。もしかしたら中学のやつだったかも。知らんけど。
覚えてようがなかろうが多くの人が一度通ってると思います。絶対。多分絶対。

とりあえずこの表のものになります。

年齢 時期 導かれる要素 心理的課題  主な関係性 存在しうる質問
0–2 歳 乳児期 希望 基本的信頼 vs. 不信 母親 世界を信じることは出来るか? 授乳、愛着
2–4 歳 幼児前期 意思 自律性 vs. 恥、疑惑 両親 私は私でよいのか? トイレトレーニング、更衣の自律
4–5 歳 幼児後期 目的 積極性 vs. 罪悪感 家族 動き、移動し、行為を行ってよいか? 探検、道具の使用、芸術表現
5–12 歳 児童期 有能感 勤勉性 vs. 劣等感 地域、学校 人々とものの存在する世界で自己成就できるか? 学校、スポーツ、仲間意識
13–19 歳 青年期 忠誠心 同一性 vs. 同一性の拡散 仲間、ロールモデル 私は誰か? 誰でいられるか? 社会的関係、学業
20–39 歳 初期成年期 親密性 vs. 孤独 友だち、パートナー 愛することが出来るか? 仕事、恋愛関係 、育児
40–64 歳 成年期 世話 生殖 vs. 自己吸収 家族、同僚 私は自分の人生をあてにできるか? 管理職、子供の自立
65歳 - 成熟期 賢さ 自己統合 vs. 絶望 人類 私は私でいてよかったか? 人生の反響 、終活

Wikipediaからコピってきたものです。ほぼ間違えようがないことについてはほんと便利ですね。

とはいえ、余談になりますが、最近では「年齢」の部分はステージごとに漸増して+5歳くらいしてもいいんじゃないかなと言われていたりします。近年の社会の変化とともに心理的成長が緩やかになっていることが理由です。青年期、だいたい25歳前後まであってもいいんじゃね?と個人的にも思ってます。

表をみてもよくわかんないですよね

さて、それぞれ心理的な発達のステージとそこにおける乗り越えるべき心理的課題(危機とかクライシスといいます)と、そこから導かれる要素があります。
それぞれにステージに心理的課題がありそれらを得られる関係性の人たち(得られ易い人と考えてください)と共にクリアしていきながら進んでいくものとなっています。とはいえ人生を複数回プレイしていない限り、初見プレイで仕様の説明もないままスポーン地点もランダムで各ステージは強制スクロールで進んでしまい、完全にクリアしようかそうでなかろうが進んでしまう鬼畜設定です。というかそもそもそれぞれステージの完クリはないです。満点の設定はないし、プニキを初見プレイ20分でクリアできるか?みたいな。

心理的課題に”vs”とありますがRPGにおけるアライメントみたいなものです。クリアしたスコアでLawやChaos、goodやevilに寄っていくという理解でいいじゃないかと思います。

余談ですがそこからカオスフレームも変化していくのでしょう。タクティクスオウガの設定みたいですね。PS版で再販しないかな。運命の輪はなんか違ったんだよ

 

例えば児童期なら「勤勉性 vs. 劣等感」です。幼児期の「積極性」をスコアが高いと「勤勉性」を得やすいですし、そうでなければ「罪悪感」から「劣等感」の流れに進み「どうせ自分なんて」と思うようになり「勤勉性」を得ににくくなりますね。

救済はあります!

発達課題はどれ一つとっても省けるものははなくそれぞれが土台になって積みあがっていくものですので、しっかりと乗り越えていくことに越したことはないものになってます。

先程ステージは課題をクリアしようかそうでなかろうが進んでしまうと書きましたが、あとからでもそのスコアを稼ぐことはできます。ただ、そのスコアを得られるステージじゃないので長期間でゆっくり少しずつになると思います。しかもそれを得られる関係性からは得にくくなっていくので、代替の対象からになる場合が多く、稼げるスコアも低くなります。(便宜上スコアと書いてますが加点減点するものでもないです。一応)

得にくくなっているものに短気を起こして強力なのを一発打ち込もうとしても結果としてあまりよくないものになるんじゃないかと思います。行動だったり関係性だったり。よくありますよね。「何が」とはここでは書かないですけど…

とかくそういうものでしょう。人生なんてきっとそんなもん。日進月歩。一歩進んで二歩下がる。

無条件の肯定をされよう

「承認欲求」得たいのはどんなとき?

ここまで長い前置きでしたが、実際に承認欲求を満たすにはどうすればいいのかという話になってきます。

完全に観測範囲での話になってしまうのですが、大抵「承認欲求」を得ようとしていると思われることは(揶揄としても)絵だったり作ったものだったり、どこかの学校や会社に入ったとか仲間がいるとかそのへんになっているんじゃないかなと思います。

先程の表でみると幼児期後期から学童期でクリアする課題になってます。なってると思ってます。勝手に。

なのでそのへんにアプローチすればいいとわかりますね。

先程も軽く触れましたが、学童期の勤勉性を得ようと思ったら、幼児期後期の積極性が高いほうがいいし、幼児期前期の自律性が高いほうがいい。そもそも乳児期の自己肯定感が高くないと積み上げにくいですよね?

「じゃあ自己肯定感を得ていこう」となるんですよ。

2ヶ月ほど前にも関連することをtootしてますね。

handon.club

引用ついでに…アイデンティティの形成進度によってさきほど触れた「深く考え込んで探し回る人」もでてくることになります。いわゆる自分探しの人。個人的には『ハチミツとクローバー』の竹本くんなどが印象深いです。「青春スーツ」ですね。年齢的にもピッタリでしょう。

無条件の肯定とは

肯定するってのは有り体に言えばほめるという言葉でしょうか。ほめるということは肯定するということですよね。

さて、ほめるときに条件付きでほめてしまうとほめられる人にとってその条件が満たされないとほめられない、条件が満たされないときはだめなんだと考えてしまうこともあるのでほめるときは条件はなるべくないほうがいいと考えてます。

条件にしたものの評価としてほめるのはとてもいいと思います。それをやるのはなかなか難しいんですけど。

無条件の肯定とはありのままをほめるということでしょうか。

基本的信頼感を得る時期、無条件の肯定を受ける時期は乳児期です。

当然なんですけど、この時期の人間は生きていくために必要な最低限の活動をすることがすべてです。自分からほめてほめてとは思っていません。まだ自分と今いる世界がうまく分離していない状態ですから。自分が世界です。

養育者のほうも、これをしたからほめてあげるというものでもなく、その存在だけでほめるでしょう。(育児疲れや産後うつなどありますが、往々にしてそのように感じるとして)

赤ちゃんはただ生きてるだけで褒められます。ほめてあげましょう?生きてることがじゃないですよ。条件なんてないです。存在そのものが有り難く褒められるべきです。

これが無条件に肯定というものです。

肯定ペンギン

肯定ペンギンというキャラがいます。
彼(?)らは基本的に「息しててえらい」「遊んでてえらい」など、生きているだけでほめてくれます。ほめるというより、認めてくれる。生命活動そのものを肯定してくれるキャラです。

さて、完璧に見える肯定ペンギンであっても、だいたいが条件付きになっています。条件がついてもまさに息をしててえらい、寝ててえらい、食べてえらい程度のものですが。

それはしかたないんです。それをやってしまうと拡張性がないですから。幼児期前期の自律性の時点で様々に条件が付き始めます。ほめられることに条件を欲するようになるし、ほめるのには条件がつくものだと思いがちです。なにもないのにほめられることに違和感を感じる人が多いですからね。だいたいそういう風にできてます。違和感なくできる人ももちろんいると思いますよ。

生きてるだけでほめられよう

さて、ここまでくればもうおわかりですね。

無条件にほめられましょう。生きてることをほめましょう。

「いきをしててえらい」「寝て起きたの?えらい!」

そうやって承認欲求をみたしていきましょう。必要と思うなら。必要と思う人に。

できればどちらでもない人にも。

誰にかは知りません。それぞれ生きてる環境が違うので。

私を支えてくれる彼くんとかパートナーとかがいる?それならそこから勝手に得やがれ。突然登場させるな。

そうでないときは、近くの人をほめてみましょうか。それはいつかきっと自分に返ってくる。そう思っていると幸せでしょ?

「みんなで幸せになろうよ*1